あっちもこっちも
2008-08-28

ちょっと、肥満体ののらにゃんですが、お庭の隅に住処をつくってもらっています。
連れ合いが利用している制度は、障害者手帳からと障害者自立支援法で
利用できるものを使っています。
WAM NET 障害者自立支援法早わかりガイド
こちらのページがどういった制度か、障害程度区分って何か、どんなサービスがあるか
などをコンパクトにまとめています。
連れ合いは障害程度区分認定では、区分6になっています。
自立支援を利用するためにはだいたい以下のような流れになります。
まず、自分が利用したいサービスを考えます。
利用したいものがあれば市町村の障害福祉課などの決められた窓口で相談したり
直接市町村の窓口で利用したいと申請します。
申請後、市町村から認定調査員がやってきて
身体や生活の状態、家族の介護状況などをこまかくマークシートにしたがって
沢山の項目を調べます。
このあと、利用したいサービスによって(介護給付と訓練等給付があります。)
それぞれ流れがちがってきますが、ここでは連れ合いが利用している
介護給付について話をすすめます。
マークシートをコンピューターで処理して、非該当(サービスを利用できない)
区分1〜6と結果がでますが、次に2次審査にすすみます。
市町村審査会で、コンピューターの出した結果と医師の意見書
特記事項(マークシートの聞き取り時に、決められた項目以外に生活状況などを書き込んだもの)
などを総合して、障害程度区分を認定がおります。
区分認定がおりてから、その区分と本人や家族がどんなサービスをうけたいのか
家族がどこまで介助できるかなどの環境、どんな生活をしているかなどをあわせて
サービスの種類や支給量(時間)がきまります。
障害区分によってホームヘルプサービスを利用するためには
障害程度区分1以上でないと利用できないとか、必要な条件があります。
そして一番の問題が、住んでいる地域の福祉に対する認識や地自体の体力(経済力)
によって、支給される時間がまったく違うということです。

本来は、障碍者が地域で生活するために、必要としている時間が支給されるということに
なっているのですが、実際は、夜間の見守りなどが認められないなど
支給時間に上限をつけている自治体があって、24時間介助が必要な
重度障碍の方が命に関わる、そして家族と住んでいると家族に負担がかかるという
状態になっています。
重度障碍の方などでは、人工呼吸器などを利用しておられたり
夜通したんの吸引が必要な方がおられますし
褥瘡(じょくそう:床ずれ)を起こさないためには、朝まで何度か寝返りを打たせないと
いけないなどがあります。
これらは、命に関わってきます。
床ずれについて認識がそうはないと思いますが、内臓にまで達することもありますし
針の穴くらいなのに深いといこともあります。
褥瘡の病期分類
ここは写真がでていますから、見たくない場合はクリックしないでください。
皮膚科Q&A 褥瘡
こちらに、詳しく説明がありますが中には写真などが掲載されています。
私達夫婦もそうですが、何しろ褥瘡を作らないと言うのが
生活の質を守る一歩だと考えています。
しかし、それを実行することは大変難しのです。
寝たきりの状態の方や寝返りがうてない方ということは、とても危険なのです。
家族だけで、夜間時間をきめて寝返りを打たせる、たんの吸引をすることを
ずっと続けて行けるでしょうか。
ですから夜は寝ているだけだという行政の夜間のサービス時間を削るということが
どれほど障碍を知らないか、人権を無視しているかということになります。
^_^; 熱くなってしまいました。進みましょう。
障害区分認定のマークシートの内容は、介護保険の内容がそのままベースになって
それに付け足したというものですが、介護保険を利用される高齢者の方と
障碍者では生活がまったく違うという視点も抜けていますし
(介護保険に障碍者も組み込んで、若い人からも保険料を徴収しようという魂胆があるので
あたり前といえばあたりまえのやり方ですが)
介護保険の認定内容や使われるソフト自体に問題があると指摘されているものですから
問題がでてあたりまえのまま実施されました。
そして、その認定の内容が、お粗末を通り越して驚愕という内容があります。
介護保険でも、チェックのしかたによって状態が大変悪い方より
いくつか要求される項目にチェックがはいった軽度の方が介護度が重くなったりしますが
これでは、まともな認定がされるとは思えないですよね。
たとえば、上肢に障碍がある場合に、食事の介助を必要としているとして、たとえば
テーブルで介助者がお魚の切り身をほぐしてあげるというのと
お皿に魚をのっけるときに、食べやすいようにほぐしてからテーブルに出した
この違いで認定に違いが出ます。
卓上で食べやすくした場合は「一部介助」で
食事をつくるときに手をかけて、テーブルに出されたものを自助具で食べることができれば
「できる」です。
つまりこの質問は何を問おうとしているのかなどの予備的な知識がないと
自分で思っているような認定区分にならないということになります。
介護保険の審査を父の場合に受けたときも思ったのですが
研修などをうけているとはいえ、調査員の介助や自立に対する認識などによって
聞き取りのしかたも違いますし、一歩間違えると市町村がわずかでも
支給量を減らしたいという意向にそってということもあり得ます。
介助者や介助を必要としている人に必要なサービスをという方なら
聞き取り時に同じ質問をするにしても、状況を判断しながら
聞き取りする特記事項も沢山書き込みながら、ということになると思いますが
先に書いたような項目を、ただ機械的に振り分けてチェックしていく人だと
認定について差が大きくなると思います。
介護保険がベースなっているため、身体状態や認知力に偏っていて
知的障碍のある方が、区分がひくくサービスを利用できないという問題も起こしています。
高齢者の方でも、見知らぬ人が来て、自分の状態を聞かれたとき
ふだんなら考えられないほど動いたり、自分ができないということを
知られないようにがんばるなどがありますし、こういったマークシートをパソコンに
かけて単純にソフトで処理ということに無理があると思います。
マークシートの内容も、ソフトもお粗末で、調査員が支給量を抑えようという
行政の思惑を優先してということがないと言い切れないことを考えると
利用者も、認定について勉強しなければ納得できる介護度や障害区分を
手にできないのだという道理に合わないことになっていると思っています。
制度自体、知らないわという方が多いと思いますが
老親の介護や自分や家族が障碍を負ったときに、そとのき呆然では
手の打ちようがないので、気になる点などを少しずつ取り上げます。
あちこち飛ぶと思うので、読みにくく理解しにくいと思いますが
できるだけリンクなどをつかって、わかりやすいページなどをご紹介しますので
どうぞ、おつきあいください。

私達夫婦の友達の「とらばあ(さん)」
必要なもの
2008-08-26

コットンボール(綿の実) 綿の花の後についた綿^_^; ううん実際はどういった名前なのかなあ。
綿の花をみると、オクラの花を思い出すんですが、同じアオイ科ですものね。
まだ、この実は青い外側がついています。これからまた姿が変わっていきます。
ニュースを見ていた母は、最初は大野病院の訴訟の原告であるお父さまの訴えや
被害者という言葉が繰り返される報道などから
なぜ裁判で負けるのかしら、相手が専門職だからよねと腹立たしそうに話していました。
母親は今でも医師を目の前にすると、まともに話ができないのですが
原因はただでさえ引っ込み思案で知らない人と話をすることもあまりないような箱入り娘だという
こともあるのですが、妊娠中に体調をくずして医師に質問しようとして
「素人がいちいち口をさしはさむな」と大声で一喝され、受診中にもかかわらず
席を立たれて一人でおびえて泣いて帰ったことなどがあったためです。
その後も受診できずに、母と私と二代を取り上げてくださった産婆さんの
お世話になったのですが、これがまれなことではなかったと思います。
父の介護中には、初めて脳の病変からてんかんを起こしたとき
その発作の激しさに驚いている上に、通院先の病院へ救急車で運ばれたときに
看護師が開口一番、「臓器移植カードは持っていますか、書いたことはありますか」と
容態などを聞くまえに母に質問したなどがあり、不信感と怒りを押さえられないのだと思います。
ひと言、大丈夫ですよと声をかけてもらえていたら、きっと違っていたと思います。
入院中に父の足などに打ち身が沢山できていたり
認知症や意識のレベルの低い患者の扱いが、とても悪いということを
付き添っている場でみていたなどが、どうしようもない不信感になっています。
かといって、抗議すれば退院を強制されないか
もっと対応が悪くなるのではないかという不安からそういった感情を抑えてしまい
それが、何も理解できない父に対して後ろめたいという気持ちになって
ますます、精神的に負担になるという感じだったようです。
昔といっても100年も前とか言う話ではなく
「お代官様の言うことに間違えはねえだ」という、素人はだまっていろという刷り込みがあって
しかも、そうすることのほうが患者も楽だということで
専門家に任せていればなんとかなるといことになってしまったと思います。
しかし、お任せといっても、命までお任せであるはずはありませんし
専門家が説明もなく行うことは、何か不具合などを隠しているという不信感を
持ち続ける結果になったのではないでしょうか。
医療裁判に訴えても、勝訴する見込みはまったくない
訴訟に関わってもらえる弁護士も、判断してくれる医師もいないという状態で
なにしろ、力関係では患者は一方的な弱者だという思いが一般的になっていて
医療的な説明を受けることができない
ネットなどで簡単に情報も手にできないという状態なのですから
何かあった場合、それが現在の医療では限界であったとしても
検査していれば治ったのではないか
違う治療法であればもっと良い結果になったのではないかと
患者や家族が考えたとして、おかしくはないと思います。
専門家にお任せとおもっているうちに
治療などは患者の選択にゆだねられ、自己責任ということになりました。
慌ててネットなどで情報を仕入れても、それぞれ思惑をもったものであったり
裏付けなど一切ないものであったりするのですし
藁をもという患者には、自分の望むような内容のもの
(完治できない病気であっても、完治する治療があると書かれているようなもの)
に目がいってしまいます。
医師からすれば、医療的にいってどうころんでも検査を詳細にしても
どうしようもないとういことがあると思います。
それは、常識ではないかということでしょう。
しかし、健康で、まったく医療について考えることもなく
テレビなどの健康になるためのあれこれをためすくらいの人が
理不尽なことに自分の身体に障碍を負ったり、家族の命を失ったりすると
その常識などの情報が一切ないところから、始まっていることを
考えるべきではないかと思います。
手術などの説明にしても、患者がどのような性格でどのような受け止め方をするか
それによって同じリスクを話しても、効果しか聞いていないということもあります。
手術だけではなく、治療や診断についてもですが
患者には受け皿がないのです。
そして、命を落とした、障碍を負った場合、その時に患者や家族を支えるものが
ないのです。
それは、普通にこつこつと生活して悪いこともしていないのにという
理不尽さに対する怒りだと思いますが、その矛先が
相手がある事故や犯罪の場合ではなく、病院で起こったことにたいする
医療的なことに向いてしまうのではないでしょうか。
死を迎えるということはあたり前ですし
どんなに金を持っていたとしても、名医にかかったとしてもどうしようもありません。
生きていること自体が、死にむかっているのだから。
しかもどんな形でやってくるかわかりません。
けれど、誰もがそれを受け入れるといことではないと思います。
まず、身体の機能や大切な人を失ったということの
補うことができない悲しみがあります。
そばにいてあたり前の人なのですから。
病気は病院へ行けば治ってあたり前だと思っているのですから。
医師と遺族や患者がゆっくり話せる時間があるほど
医師の人数もおられるということではないですし
次々診療を待つ患者さんがいる状態で、しかも今の医療の場では
消耗する医師達を縛り付けることはむりでしょう。
そのためにも、医療的なことを質問し言葉の説明からしてもらえる医療関係者
そして失ったことでのダメージから、精神的にもダメージをうけて
どうにもならないような状態にならないようにピアカウンセラーなども同席し
痛みを理解しあえる人がいることなどでフォローしてもらえる場があれば
そう思うんです。
信頼できる制度としてこういった受け皿があれば
訴訟などではなく、医療関係者の人にとっても、患者や家族にとっても
その後の生活を守ることになると思うんです。
これは、完治することがむずかしく進行する病気などの場合の診断後や
障碍を負った後にも必要だと思います。
そして、やはり医療や福祉について小さな頃から
身につけていくべきことを教育することが必要ではないでしょうか。
ネットなどについても同様ですが、情報をどう受け入れ処理するか
自分で考えること、自分で行動することを身につけることは
教育で積み重ねていくしかできないことではないかと思います。

ツマグロヒョウモンのオスです。
積み重ねてきたもの
2008-08-24

蓮のつぼみにとまっているショウジョウトンボ・・・だと思います。
足が赤くて、ネキトンボとは違うのかなあと思うんですが。
個体としてもちょっと大型でした。
大野病院で亡くなった女性のご冥福をいのります。
そして、残されたお子さん達が健やかに過ごされますように。
遺族の方が早期に医師や病院と、間に入る人間ととももに
話あいをされる機会を得られますように、願っています。
男子400mリレーをみていて、1600リレーで急遽はしった為末選手が
レース後に涙をぬぐっている場面が写されました。
1600リレーを走ったのも、数十分前に声をかけられたのですから
体調を考えれば走らないという選択もあったと思いますが
リレーだけのために走る選手のことなどを考えてだと思います。
バトンを受けて、400mを自分が走りきって次の選手に
バトンを渡した後の、両手を組んで祈るような姿に
思いがあふれている気がしました。
400mリレーのどの選手もが、陸上に関わってきた多くの人たちと
共に手にしたメダルであることをインタビューで話していましたが
為末選手も、そして応援していた違う種目の選手達も
同じ気持ちを持っていたのだと感じました。
アジア人は陸上には向いていないというそれまでの結果に結びつかなかった
努力の積み重ねが、これからの世代へ意識の変化になって
結果にも結びついていく、そういった思いを感じるコメントでした。

ウスバキトンボ?の飛翔
私は制度のことなどを取り上げますが、それは、患者さんやご家族の関心が
多くは新しい治療などに偏っていることに、危機感を持っているからです。
これだけ、財務省などの思惑で、厚労省が真実のように見せかけた
あっちこっちから都合良くひっぱりだしてきた数字によって改悪されている
医療や福祉の制度の内容に、どれくらいの方が気がついているでしょうか。
私自身も研究が進んで連れ合い共々、進行が抑えられ症状の多くが軽快する治療を
望んでいますが、その治療方法や薬が実際に誰もが受けられるためには
多くの時間と人が関わっているという意識も必要だと思っています。
そして、現在の誰もが健康保険を使って、受診することができることを
守っていくっことが、現在健康であっても病気になる可能性が誰もにあることを考えれば
大切ではないでしょうか。
福祉制度もそうですが、障碍があるだけで家からでることさえ許されない状態から
這うようにして声を上げ続けた人たちの努力が、福祉制度を作ってきたし
社会に対してユニバーサル(年齢、障碍の有無、国籍、その他のいろいろなことに関わらず
すべての人が使いやすいように工夫された用具・建造物)デザインという考えも浸透しようとしています。
障碍や難病になっても、一人の人間として地域で生活する
身体介助(排せつや入浴や寝返りなど)や生活の介助などのサービスを利用しながら
自分の生活を自分で選んで決めるということが自立なのだと考えています。
その制度を失わないために何をしなければならないか
それを考えれば、やり放題ややったもの勝ちというようなことは許されないと思います。
不正やサービスに関わる人への暴力(言葉や身体的な)などは
不正によって行政からそのサービス自体を取り上げられる大きな原因になりますし
福祉に関わろうとしてくれる人たちの気持ちをなえさせ、職場から去らせてしまいます。
国は福祉に仕事を求める人たちに、その仕事だけで食べていけないような
制度にしていますから、若い人たちや家族の生活を支える人たちが
働き続けることができないのです。
どんなに志に燃えていても、実際には事業所を立ち上げても
責任者自体が生活できないほどに困って、へたをすれば事業所の負債をせおって
事業から撤退することになります。
その結果、利用者は障碍の程度から利用できるサービス時間をもらっても
利用する事業所などがない、働いてくれるヘルパーなどがいないという現実にぶち当たります。
これは、医療にも言えるのではないでしょうか。
夜間や時間外に病院へ行けば、時間を待たずに診てもらえると疲れ切った医師をかり出す
救急車をタクシー代わりに乗り付けて診察を要求する患者
相手をみて窓口や看護師に、理不尽なことで暴言を吐く患者や家族
金銭的に窮乏もしていないのに、高級車にのって退院しながら医療費の支払いをしない患者と家族
こういったことが、現場の医師や医療関係者、そして制度を破壊していると思うんです。
どんな劣悪な環境で働いているか、そしてそういった疲れ切った方達に
命を守ることが要求され、可能になるのかを考えませんか。
まず、私達ができること、医師や医療関係者が思い切り働くことができる環境を守ること
国民ができる大切な国民皆保険の制度を守る、そして育てることが何かを
身につけていくことが何より求められていると思います。
ネットなどの情報についても、その扱い方で身につけるべきことは沢山あると思います。
国が行おうとしている医療改悪が、イギリスやアメリカの制度の悪い部分をとりだして
利用しようとしていることを、理解することが必要だと思っています。
道標:イギリスの医療の一例
実際に医療をうけた方がつくったページです。
「イギリスは、サッチャー政権以降、極度の低医療費政策を採ってきた。
それを理想の医療のようにあがめ奉る日本人」
道標(みちしるべ) 世界情勢や日本社会に関する覚え書き
医師が書かれているページですが、今、日本で崩れていこうとしてる医療について
取り上げておられますのでどうぞ、ご覧ください。
あまりに多くの項目がありますが、いろいろなページを見てくださることを願っています。
介護保険と医療制度を考える部屋
こちらに、アメリカの医療制度を取り上げています。
アメリカの医療制度について
医師が2025年には過剰になるから1995年まで医師の新規参入を許さないようにしてきたのは
厚労省ですが、これは、単に医師の数をへらせば患者が受診することもままならないので
医療費を削減できるという考えからです。
一人につき、決められた金額しか医療費を使うなというこになれば
どれだけ必要としても、その金額以上は自己負担できる人間しか治療を受けることが
できないようにするなども掲げられています。
どの医療機関もすべての患者の医療費を肩代わりなどできないのですから。
まだまだ、やまほどの患者や医療者への負担だけをおしつけて
制度自体を破壊して、医療関係者と国民の間に摩擦をおこし不信感を持たせ
民間の医療保険を扱う会社に漁夫の利(双方が争っているすきにつけこんで
第三者が利益を横取りすること)を与え、自分たちも甘い汁を吸おうということなど
自分が、そして家族が病気になったり、事故などでけがをしたとき
ほんとうに必要な良い医療を受けるには今、何をすべきかを考え
そして行動しなければ、もう足下が崩れていると考えていますがどう思いますか。
少し、考えてみませんか
2008-08-20

公園の遊具のうえで、周りをみていたにゃんこ。
私が最近、ほんとうに驚いたことがあります。
ある病気の患者さんの掲示板で、病気になって初期から治療をうければ
完治に向けた状態になるのだから、ある診療科はその病気には不必要だというような内容でした。
もう、ご存じの皆さんもおられると思いますが
昨年の5月に厚労省が医療機関の診療科名を4割強廃止すると発表しました。
アレルギー科や心臓血管外科などがわかりにくいから
患者がイメージしやすい外科などに統合するというのです。
これは、単純に考えると、診療科の名前だけが変更されるということに思えますが
外科のなかに、脳外科医や心臓血管外科医などがいるということではなく
診療科をへらしてそこのいる医師の数がそのまま残るということになるでしょうか。
診療科の名前がなくなるということは
それぞれの専門医を必要としている患者にとって
どこへ行けばいいのか情報がなくなることになりますし
地域につくられる総合科という新しい科の担当医師が、必要な専門医を
紹介するというのですが、いったいどれくらいの時間をかけて
そのすべての病気に精通した医師を育てることができるんでしょうか。
今の厚労省の削減、削減、まず患者が病院にこないようにするという対応をみていると
そのまま統合されたいくつかの診療科のベッド数がそのままの数で同じだとは考えられません。
まず、ベッド数自体が減らされると考えるべきではないかと思います。
寝たきりや重度の身体の障碍をもっている患者にとって
ベッド数を減らされることは、介護や療養は家でやれということですし
それが医療を受けることすら拒まれることになるという危機感を持ちます。
在宅での医療の受け皿がないまま、福祉制度からの介護の手もずたずたに
サービス時間はもらえても、サービスを受ける事業所などがないという状態なのですから
訪問医療や訪問看護を十分に受けることなど想像もできません。
リウマチ科や神経内科について、リウマチの患者さんや神経難病の患者さん
そのご家族が、存続を願って多くの署名を集めましたし
学会からの猛反発もあって、結局、表記のしかたを変えるということで落ち着きました。
患者さんからまさか、自分達の病気にはいずれ、その科は必要なくなるから
診療科からその病気の診療科名を削除してもよいという発言がでることは
さすがに考えていませんでした。
その病気の治療についても、まだまだ、新しい試みが続いている状態ですし
実際に入院した病院で、寛解(かんかい:病気そのものは完全に治癒していないが
症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失することで、お薬なども飲まない状態)に
なっていた方が、一気に増悪して入院されていました。
それぞれ生活している環境も違いますし、もちろん身体のが違うのですから
薬の効果も、状態も症状などの進行も違うと思います。
同じ病気であっても、治療が困難な手を打つことができない状態の方がおられます。
ほんとうに診療科について患者のためということなら
多くの科にかからざる得ない患者にとって
どの病院でも、どの診療科でも、その人が必要としていることを
垣根なく、風通し良く、相互に意見を交換してもらって
治療を受けることができる環境だと思います。
チーム医療(医療のそれぞれの専門知識や技術を生かして、協力して行う治療)が
どこでも受けられることを、一番望んでいます。

医療を守りたい
2008-08-19
私自身は自分の病気については、手ひどい痛手を負うようなことがあったために
今でも、医師と話すときに精神的に負担に思います。
けれど、受診を諦めなかった理由はネットなどで知り合うことができた
患者とともにある医師や、子供達やお母さんの最強の応援団だと思う医師
少しでも良い状態にと悩みながら患者と向き合ってくださる医療関係者との
出会いがあったからです。
また、アメリカのある病気の患者会の方のお話で
難しい病気であるからこそ、医療の専門家達と患者と家族でスクラムを組み
よりよい方へ向かって行くという姿勢に勇気づけられました。
彼女達は、患者自身も情報の扱い方などについて厳しい考え方を持っていました。
私は不妊治療なども受けたこと、まだ十代のころに生理痛がひどくて
産婦人科にかかった経験から、医師の質やスキルや品性について
わずかでも、産婦人科医に対して好意的なことを書くことができない経験をしました。
しかし、それを前提にしても、今回のこの逮捕については疑問を持っています。
お産について多くの方がもっている
病気でもないし、自然なことだということが、とても危険で
何故そう考えるのかが不思議だと思っていました。
夏休みに帰省したときに、いつも遊んでくれた親類の女性が
お産でなくなったからということがあったからだけでなく
そこに、開発途上国などの乳幼児やお産によるお母さんの死亡率などにくらべ
日本がどれほど医療が進んでいて、衛生的に暮らしていて、優れているかという
数字や情報だけが一人歩きして
お産は安全にきまっている
子供は健康でうまれてくるにきまっているという
思い込みがあるのではないかと思っていたからです。
いったい、どれくらいの病気が原因が究明されていて
完治する治療を受けることができるでしょうか。
今でも、身体のことについて、研究が継続していても
わからないことが多いのですものね。
自分が身体の機能を失うことで、ほんとうに人間の身体がどれほど巧妙に
そしてこまかく、緻密につくられているか
はかりしれない能力をもっていて、しかも数字や形に表せない力を秘めている
命をいじするための細胞の働きなどを考えていくと
そのバランスがわずかに崩れても多くの問題がおこってくるのはあたり前ですし
補う力もある反面、とてももろいということも感じます。
患者自身が認識しなければならない事もあるのではないか
守るべきモラル(コンビニ受診など)がある
病気とつきあってきて、私が思ったことです。
医療を受ける時、それは介助を受けるときにも思うんですが
時間におわれ、仕事に追われ、しかも生活するのに足りない金銭的な問題に
疲れ切ってしまった人に、自分の身体をゆだねることができるでしょうか。
医療が今ほど危機的な状態になっているのに
患者が、医療改悪の中身も興味もないし知りもしないというのでは
どうしようもないと思います。
そして、こういった状況を変えていくためには
患者も、家族も医療関係者もそして、今、医療を必要としていない健康な人たちも
どうやったら誰もが保険をつかって医療を受ける事ができる制度を
守っていくことができるのか
医療関係者の働く環境を良くして、よりよい医療を受けることができるのかを
もっと知る努力と、行動することが必要ではないかと思います。
納得できない・・・その気持ちは実際に私が家族の死に際して
感じたものです。
その時、しっかりお話をうかがう場があればと思いました。
患者以外は、一緒に医師の受診をしていないのですから
それまでの詳細について、知らない状態で治療結果と向き合うことになります。
どういった経過があったのかなどを知らないまま
説明などが少ないなどで、ボタンをかけ違ってしまうこともあると思います。
医療現場でのヒヤリ・ハットの数字だけがニュースなどで流されますが
それは現場から報告され、改善されていくためのものだと思うんです。
こんなに多い事故寸前があるなどということではないと思います。
報告したことで損をしたと思うような状態にしてしまっては
隠せるなら隠しておこうとうことを、私たちが圧力をかけることになりませんか?
それをどう改善していくか、それが必要なことだと思います。
そのためにも力関係とまったく離れて、率直に話しあえる、検討しあえる場を
作ることが先決ではないかと思います。
医療関係者の方達もそれぞれ専門家なのですし
患者も自分の身体の状態について多くの情報を持つ専門家です。
家族はそれを支える、そしてそばで見ている専門家です。
そのだれもが、風通し良く率直に意見を言え、耳を傾けることができること
それが必要なのではないかと思っています。
青臭い理想論だと思われるかもしれませんが
改悪されていくばかりで、最終的に金がなければ医療を受けることすらできなくなる
そういった危機意識を持たせないことが、医療を国民からとりあげようという連中の
思うつぼだとしたら、少しでも、一歩でもそれに近づけるように
私達も変わらなければならないのではないかと思っています。
今でも、医師と話すときに精神的に負担に思います。
けれど、受診を諦めなかった理由はネットなどで知り合うことができた
患者とともにある医師や、子供達やお母さんの最強の応援団だと思う医師
少しでも良い状態にと悩みながら患者と向き合ってくださる医療関係者との
出会いがあったからです。
また、アメリカのある病気の患者会の方のお話で
難しい病気であるからこそ、医療の専門家達と患者と家族でスクラムを組み
よりよい方へ向かって行くという姿勢に勇気づけられました。
彼女達は、患者自身も情報の扱い方などについて厳しい考え方を持っていました。
私は不妊治療なども受けたこと、まだ十代のころに生理痛がひどくて
産婦人科にかかった経験から、医師の質やスキルや品性について
わずかでも、産婦人科医に対して好意的なことを書くことができない経験をしました。
しかし、それを前提にしても、今回のこの逮捕については疑問を持っています。
お産について多くの方がもっている
病気でもないし、自然なことだということが、とても危険で
何故そう考えるのかが不思議だと思っていました。
夏休みに帰省したときに、いつも遊んでくれた親類の女性が
お産でなくなったからということがあったからだけでなく
そこに、開発途上国などの乳幼児やお産によるお母さんの死亡率などにくらべ
日本がどれほど医療が進んでいて、衛生的に暮らしていて、優れているかという
数字や情報だけが一人歩きして
お産は安全にきまっている
子供は健康でうまれてくるにきまっているという
思い込みがあるのではないかと思っていたからです。
いったい、どれくらいの病気が原因が究明されていて
完治する治療を受けることができるでしょうか。
今でも、身体のことについて、研究が継続していても
わからないことが多いのですものね。
自分が身体の機能を失うことで、ほんとうに人間の身体がどれほど巧妙に
そしてこまかく、緻密につくられているか
はかりしれない能力をもっていて、しかも数字や形に表せない力を秘めている
命をいじするための細胞の働きなどを考えていくと
そのバランスがわずかに崩れても多くの問題がおこってくるのはあたり前ですし
補う力もある反面、とてももろいということも感じます。
患者自身が認識しなければならない事もあるのではないか
守るべきモラル(コンビニ受診など)がある
病気とつきあってきて、私が思ったことです。
医療を受ける時、それは介助を受けるときにも思うんですが
時間におわれ、仕事に追われ、しかも生活するのに足りない金銭的な問題に
疲れ切ってしまった人に、自分の身体をゆだねることができるでしょうか。
医療が今ほど危機的な状態になっているのに
患者が、医療改悪の中身も興味もないし知りもしないというのでは
どうしようもないと思います。
そして、こういった状況を変えていくためには
患者も、家族も医療関係者もそして、今、医療を必要としていない健康な人たちも
どうやったら誰もが保険をつかって医療を受ける事ができる制度を
守っていくことができるのか
医療関係者の働く環境を良くして、よりよい医療を受けることができるのかを
もっと知る努力と、行動することが必要ではないかと思います。
納得できない・・・その気持ちは実際に私が家族の死に際して
感じたものです。
その時、しっかりお話をうかがう場があればと思いました。
患者以外は、一緒に医師の受診をしていないのですから
それまでの詳細について、知らない状態で治療結果と向き合うことになります。
どういった経過があったのかなどを知らないまま
説明などが少ないなどで、ボタンをかけ違ってしまうこともあると思います。
医療現場でのヒヤリ・ハットの数字だけがニュースなどで流されますが
それは現場から報告され、改善されていくためのものだと思うんです。
こんなに多い事故寸前があるなどということではないと思います。
報告したことで損をしたと思うような状態にしてしまっては
隠せるなら隠しておこうとうことを、私たちが圧力をかけることになりませんか?
それをどう改善していくか、それが必要なことだと思います。
そのためにも力関係とまったく離れて、率直に話しあえる、検討しあえる場を
作ることが先決ではないかと思います。
医療関係者の方達もそれぞれ専門家なのですし
患者も自分の身体の状態について多くの情報を持つ専門家です。
家族はそれを支える、そしてそばで見ている専門家です。
そのだれもが、風通し良く率直に意見を言え、耳を傾けることができること
それが必要なのではないかと思っています。
青臭い理想論だと思われるかもしれませんが
改悪されていくばかりで、最終的に金がなければ医療を受けることすらできなくなる
そういった危機意識を持たせないことが、医療を国民からとりあげようという連中の
思うつぼだとしたら、少しでも、一歩でもそれに近づけるように
私達も変わらなければならないのではないかと思っています。
おぎなって、あまりあるもの
2008-08-18

ニワゼキショウの花 1890年頃にアメリカからやってきた帰化植物。
リハビリテーション医療の打ち切り制度撤廃運動
反対署名集めるためのに街頭署名に参加していたとき
署名をくださった方を含めて、ほとんどの皆さんがリハビリに上限がつけられることや
医療費を現場の状態を調べもせずに切り捨てるように抑えようとしているということを
まったく知らなかったとおっしゃっていました。
今、医療制度がどうなっているのか、福祉制度がどうなっているのか
実際に自分が必要としても利用できるものすら、切り捨てられていっている状態を
知る必要もないというのかなあと、そのときほんとうに驚きました。
もっとも、新聞などのメディアもふくめて、医療過誤などについて飛びつくように
かき立てても、制度などについて地道に追いかけている記事を目にすることが
少ないことを考えたら、自分で知ろうとしないかぎり知る機会すらないのかなと思います。
仕事もまともにせずに、仕事上で大きな取り返しのできない過ちをくりかえして
しかも年金を使い込むという犯罪行為を繰り返した職員に
なんのペナルティもない、償いようのないことを行いつづけ今もまともに対応していない
社保庁に対して、人ごとと思っている人たちが多いことを考えると
自分が病気になったりしなければ、知ろうとはしないのかと思います。
小泉元首相がいまだ、キャーキャーと人寄せパンダのように黄色い声をあげる人たちに
迎えられるのを見ていると、ほんとうに不思議な気がします。
高齢者の医療や、医療制度の改悪や弱者を切り捨てる、そういったことを民間の企業のトップと
推し進めようとしたのは彼ですが、そのとき、そして現在ももてはやす人たちは
難病や障碍、そして誰もが迎える年老いていくということについてどう考えているんでしょうねえ。
医療制度を考える部屋
山口県 玖珂(くが)中央病院 院長 吉岡春紀医師のページです。
沢山の情報があります。
医療制度や福祉制度について、現状を知ることからはじめませんか。
あまりに多く、ころころ場当たりで内容を変えているので、理解するのが大変だと
思いますが、一般の方向けのページもありますのでどうぞ、時間をつくってお読みください。
私は、痛み(症状全般ですが)は同じ病名であれば理解できるというのは
現実にはあり得ないことではないかと書きました。
しかし、共感すること、知ろうとすることが、人にはできると思っています。
それは、病名や障碍の違い、生活環境やひとり、ひとりまったく違うということを理解していても
人は想像することが可能ですし、知ろうとすることができます。
想像すること、理解しようとすることは、きっと人の能力のなかで
とても重要なことだと思います。
犯罪も、被害者やその家族やそして自分のまわりの人達や
自分自身がそういった行為を受けたとき、そしてその後どうなるのかなどを考える力
想像する力があれば、抑止力になると思いませんか。
かわいそうな人という寄り添い方ではなく、その状態の人がどういった痛みや
心の問題や、辛い環境にあるのかを、自分に置き換えて考える、想像する
理解しようとすることができることは、多くの問題を解決していくなかで
人間に根本的な問題があったとしても、おぎなって余り有る能力だと思います。
それは、病気でも障碍でも、そして年齢を重ねて身体の機能が落ちていくことについても
だれもがそうなる可能性があり、そして必ず死に向かっていることを考えれば
何かあったとき、もうどうにもならないという孤立無援の絶望感に突き落とされるような
制度改悪などを簡単に許してしまうようなことはできないはずです。
社会がいったん病気や障碍を負ったとき、高齢になったときに
もう、それで最期なんだとおもってしまうようなものになったら
きっと、その国自体が不安感などから活力を失ってしまうだろうと思いませんか。

もも、あおいゆず、熟したうめの実、これから色づく柿
病気になって、医療でも福祉でも制度の谷間のなかで
家族の生活をその背に負っている方達が
あまりのことに、あっけにとられてしまうということがあります。
何も自分がそして家族が、今、必要としているわずかな救いの手が全くないということを
そのとき、初めて知ったということです。
民間保険の声高な医療保険に入れの大合唱を
入っていれば良かったと思うでしょうか。
しかし、高額な医療保険を継続して払い続けることができなければ
医療を受けることすらできないような、国民皆保険の制度を手放して良いでしょうか。
今になって、すべての契約内容をお知らせし、ただしく給付金を支払うと宣伝している
保険会社が、信頼できるでしょうか。
でたらめな契約を結ばせて、読めないような細かな字の約款をたてに
はっきり故意に支払わないようにしてきたその姿勢を、正したと言えるでしょうか。
国民の医療は大きな市場だと公言する人を
医療改革のトップに据えて決まった制度を、国民が安心して医療を受けることが
できるものだと思えるでしょうか。
今、起こっていることを考えていきませんか。
措置と契約 4
2008-05-21

へらおおばこです。
花の冠がかわいくて、風にゆれていると眺めているだけで癒されます。
措置と契約でいくつか記事を書いてきましたが、障碍者自立支援法を導入するとき
厚労省ははっきり、その目的として自治体の地方ごとの格差をなくすためと公言しました。
しかし、実態はその地域の経済力などの体力や、福祉、障碍などに対する考え方の差が
対応にでてくるばかりです。
児童福祉法ではすべての子供たち(障碍児、養育拒否や虐待などを受けた子供など)が
施設を利用するとき、措置制度として公費負担でしたが
障碍者自立支援法が施行されたことによって障碍をもったお子さんだけが
都道府県の判断しだいで契約制度として原則、養育者が1割負担することになりました。
それに、契約になると施設の利用料だけではなく教育費や医療費も自己負担となります。
しかも、都道府県の多くが厚労省の措置にする時の例を守っているために
多くが契約とされてしまいました。
同じ子供なのに、障碍があるということでふるいにかけられて
安心して生活する場を奪われています。
先の記事でもとりあげたように、東京都の児童相談所のように
子供が置かれている状況や、虐待などの有無、親の養育能力などをまったく無視して
すべて最初から契約制度ありきで、親の支払いをもとめ
その結果、子供たちが施設から退去せざる得ない状態や
虐待を繰り返す親のところへ戻されるような状態が続いています。
それぞれの住んでいる地域よって、環境をしっかり調べて
子供が必要としている施設ので生活などを踏まえて
措置制度を適用する自治体もある一方で
事情や環境などをまったく考慮せずに最初から契約制度にするという
対応のところもあります。
自治体が契約に走る理由は厚労省が例としてあげた以下のような内容が原因になっています。
2006年に障碍者自立支援法の施行を前に厚労省は
保護者が不在であるか、精神疾患であるか、虐待などをおこなっているか
どれかにあたるばあい、措置にする発表しています。
これだけなら、多くの子供たちが措置扱いになるはずですが
厚労省が示した例は以下のような、契約ありきの内容です。
たとえば
親が不在という場合、施設に入所していたり病院に入院しているときは不在にはなりません。
(仕事もできず、家庭のこともまかなえないような状態なのに・・・です。)
精神疾患という場合も、家裁に成年後見人の利用申請中の保護者と限定しています。
(成年後見人制度については民事局 成年後見制度 〜成年後見登記制度〜
こちらをごらんください。
内容をみていただければわかりますが、手続が大変煩雑でしかも金銭的な負担もかかります
数ヶ月手続にかかってしまうという状態になります。
判断能力などの鑑定に鑑定医をお願いして10万〜30万円前後かかるといいますし
時間と金銭と労力が手続に必要です。
通常の裁判などでも、鑑定医になってくださる医師を捜すことに時間がかかる場合もあります。
金銭的に余裕があるならともかく、精神疾患などで仕事もままならない方では
制度を利用することも難しいということになります。
成年後見制度利用支援事業といって、それぞれの自治体で
申立て費用や後見人の報酬を補助する場合もありますが
生活保護を受けていることが必要などの条件を決められたところが多く
利用できる方の枠がとても少なくなっています。
どういった状態が判断能力がないのか、どういう病状などかの判定も難しいと思いますが
それでも、精神疾患の場合は後見人制度の利用が条件になっています。)
虐待にいたっては、虐待の可能性がある上に施設の利用料などをわざと支払わないなどの親でも
虐待による養育拒否ではないとしています。
つまり、何がなんでも子供がどんな状態であろうと、家族がどんな状態であろうと
契約にするようにという指示がでているのです。
そして、厚労省は
親の経済的事情は措置の条件にはならない。
滞納世帯の子は施設から契約を解除されても仕方がない
と言っています。
つまり、親がしつけという名目で虐待を繰り返そうが
入院などによって食べさせることすらできない状態であろうが
学校にやらずに教育の場を取り上げるような親元であろうが
利用料を滞納すれば退所させて当然だと言うわけです。
親の状態や考えで、利用料の滞納を繰り返したあげくに、障碍をもっている子供たちが
教育を受けることすらできないような環境、暴力をふるわれるような家庭に戻ることに
施設で子供たちに関わる人たちが心を痛めたとしても
すべての障碍をもった子供たちの費用を肩代わりすることはできません。
しかも、滞納された利用料を徴収することすら難しい親たちなのですから
それらを補わなければならない施設自体も負担が重く
そこで親が退所させてしまう子供たちが多くなっては経営が危うくなってしまいます。
多くの施設で子供たちを守るためにと未収金を肩代わりをしている状況でも
措置制度とちがって、契約になると医療費や教育費も自費となるために
負担が重いと子供たちを退所させてしまう親がいるということです。
これらは、親の経済力などを考慮しないという厚労省が行ったことです。
少子化対策にやっきになっているはずの厚労省にとって
障碍をもっている子供たちは、児童福祉法でまもられる人間の子供という概念には
入らないということなのでしょう。
契約にすれば、地方自治体も国も、親と施設の契約ですから
何かあっても責任を負う必要はありません。
今の長寿阻止医療制度と同じで、国や自治体が一切責任を負わない環境を
つくってしまうという考えに基づいて作られた制度だということがわかります。
守るべき子供たちを、そして社会的に弱い立場の人たちを守らないような国に
誰もが安心して暮らしていけるでしょうか。
何故なら、だれもがどうやっても高齢者になるのですし、病気やけがを
予防するなんてことはできないのですから。

