お気に入り
2007-08-18
私たち夫婦は、本とレコードやCDを沢山抱えています。
レコードは重くてとても移動できないので、今は家にはおいていませんが
本とCDは引っ越し前と変わらず、部屋の両側の壁面を覆い尽くすように並んでいます。
大好きなへろはるさんや
宇野亜喜良やペーター佐藤のイラストやポスターを飾りたいのですが
壁面は書棚になっているし、借家だってこともあって手をいれられないため
あれこれ額をさがしたり、連れあいが昔作ってくれた物を使ったりしていました。
ポストカード式のものや、小さな冊子を飾るのにこんなのを使っています。

昔、連れあいが作ってくれた小さな椅子の上にのっかっているのは
南青山で行われた、宇野亜喜良のアキラ・シネマ展をのぞいたときに
サインをもらった(笑)カタログです。
オードリーやグレタ・ガルボなどの女優や、ゴダールなどの監督が描かれています。
黒い引き出しが沢山ついている古い箪笥(タンス)の
上置(うわおき)と下置(したおき)の段になったところには
連れあいの木工をしていたとき作った作品と一緒に
へろはるさんのイラストを飾っています。
彼女のしなやかで軽い感じそのまま飾りたかったので
額にいれたり、小さなピンチ(洗濯ばさみ)で挟んだりしていましたが
縦長のポストカードサイズになると、思うように飾れませんでした。
集成材を重ねて、ゆるやかにまげて、そのあわせた隙間にはがきなどを
差し込んで飾る、単純なポストカードたてなのですが
これ、気に入っています。

カラスウリです。
まだ、青いのでしましまがでています。
花を写しに言ったのですが、とうに遅くて。(苦笑)
季節に置いてきぼりになっている気分。
今日はまるで嘘のように、セミの声が小さくなって
ほとんど耳にできない時間もありました。
カラスウリが赤くなるのも、早いかな。
レコードは重くてとても移動できないので、今は家にはおいていませんが
本とCDは引っ越し前と変わらず、部屋の両側の壁面を覆い尽くすように並んでいます。
大好きなへろはるさんや
宇野亜喜良やペーター佐藤のイラストやポスターを飾りたいのですが
壁面は書棚になっているし、借家だってこともあって手をいれられないため
あれこれ額をさがしたり、連れあいが昔作ってくれた物を使ったりしていました。
ポストカード式のものや、小さな冊子を飾るのにこんなのを使っています。

昔、連れあいが作ってくれた小さな椅子の上にのっかっているのは
南青山で行われた、宇野亜喜良のアキラ・シネマ展をのぞいたときに
サインをもらった(笑)カタログです。
オードリーやグレタ・ガルボなどの女優や、ゴダールなどの監督が描かれています。
黒い引き出しが沢山ついている古い箪笥(タンス)の
上置(うわおき)と下置(したおき)の段になったところには
連れあいの木工をしていたとき作った作品と一緒に
へろはるさんのイラストを飾っています。
彼女のしなやかで軽い感じそのまま飾りたかったので
額にいれたり、小さなピンチ(洗濯ばさみ)で挟んだりしていましたが
縦長のポストカードサイズになると、思うように飾れませんでした。
集成材を重ねて、ゆるやかにまげて、そのあわせた隙間にはがきなどを
差し込んで飾る、単純なポストカードたてなのですが
これ、気に入っています。

カラスウリです。
まだ、青いのでしましまがでています。
花を写しに言ったのですが、とうに遅くて。(苦笑)
季節に置いてきぼりになっている気分。
今日はまるで嘘のように、セミの声が小さくなって
ほとんど耳にできない時間もありました。
カラスウリが赤くなるのも、早いかな。
初盆
2007-07-17

稲がぐんぐん育って、気がつくとぽんぽこ山のまわりの田んぼは
風で稲がなびくほどになっていました。
今年はトンボをおいかけてまわる元気もないので
たまに出会えたら幸運かなと思っています。

地震で亡くなった方の多くが高齢者であることや
古い重い瓦屋根の家屋が倒壊しているのをみると
いやでも阪神の大震災を思い出します。
地震のあとすぐにはいった神戸から帰ってから
しばらく、瓦屋根の下を歩くのが怖かったです。
人口の密集地であったり、炊事などをする時間帯だったり
都市でこういった災害がおこれば、連鎖する被害は
ひろがる一方になりそうです。
焼け跡のにおいや胸が詰まるような思いは
きっと、忘れることができないと思います。
私の実家では父の初盆を迎えるので、盆灯籠をと勧められたのですが
たいそうなものを飾るよりはと
小さな電気の回り灯籠を購入しました。
和紙に朝顔、桔梗、小菊などが描かれている四角いあんどんのなかで
透明な筒状のフィルムが小さな電球で温められて、くるくる回ります。
ろうそくでは危険なので、電気のものにしましたが
これなら、母ひとりの夜もかわいい明かりで楽しめそうです。
筒状の透明なフィルムに丸い色がついた水玉が描かれていて
それがくるくるといろいろな色の光になって
外側の花が描かれた和紙にうつります。
お盆に回り灯籠をというのは、きっといろんな訳があるんでしょうが
走馬灯(そうまとう)のように思い出すという言葉もあるので
亡くなった人を偲ぶのにはちょうどよいかもしれません。
弟が亡くなってからずっと、お盆のはじめには
迎え火代わりに玄関先で、線香花火に火をつけます。
今年は、送り火は母とふたりで京都の大文字を眺めにと思います。
被災した方たちが、少しでも通常の生活を早く取り戻してくださるように願っています。
颱風
2007-07-14

昨日から淡路島を訪れていたのですが
颱風においやられるように、今日、帰ってきました。
いつも穏やかな瀬戸内の海しかみていないので
今回は颱風の被害が、多いことを初めて体験しました。

災害やなにか突発的に事があると、いろんな人との関わりや
普段は気がつかない沢山のことに気がつきます。
若葉さんが二つの誕生日の記事にコメントを書いてくれました。
『お誕生日・・生まれた時は人生の中で
最小の人数の人に喜んでもらった・・
だんだん人の輪が大きくなったわ。』
ほんとにね。
私は偶然、それもほんとうに信じられない偶然から
生まれてくる命を考えると、生まれた限りはどんな環境や
いろんなことがあったとしても、苦しむ、楽しむ、悲しむと
沢山楽しみたいと思っています。
そして、誕生日を重ねていくごとに、自分がどれだけ力足らずで、物を知らなくて、いい加減かとかいつも実感するようになって、その結果、生きていることを支えてくれているいろんな人たちに感謝するようになりました。
それは、何か実際にしてくれたという相手だけではなくて。
ありがたいって言葉は、身にしみてうれしいという意味がありますよね。
ぬらした布の先を染料につけると、布の内部にまでしみこんでいくのをみているとその語感がよくわかります。
けれど、折りたたんで染めたり(夾纈(きょうけち)といって
板染というたたんだ布を板で挟んでそめます)
糸でしぼって染めたり(纐纈(こうけち)は絞り染です)
また、蝋やのりなどで染め色が入り込まないようにして
その重なったぶぶんや、糸で絞り込まれたところ、のりや蝋をおいたところは、染料がしみこまずに染めることができません。
染めものはこれを利用できますが、思いが届かないって
そんな感じなのかもしれません。
ばかの壁ではないですが、思いや行為を受ける方も準備がいるかな。
染料がしみこむためには
やはりいろんな下準備があります。
生地ののりをおとしたりすることや、染料を選び、その染料が発色する環境をつくったり、染めた色を落ちにくくしたり。
コミュニケーションをとるのに、人って言葉や態度や五感や何もかも使って
はじめて伝えられるということなのかなと思ったりしています。
相手の思いを受けるときも、そういったものをフルに使わないといけないのでしょうねえ。
と、最近、なぜ思いが伝わらないのかなあと思うことが続いて
こんな事を考えていました。
なんだか、颱風に明日は家に閉じこめられそうなので
積ん読になっている本を、読んでみようかなと思っています。


