いぬのえいが
2007-10-13
moyaさんのブログmoyaの50歩100歩に、バイクの前かごで暮らしている子猫の写真があります。
小さなにゃんこは、さ迷っているうちに、ここで安心して眠れる場所と
信頼できる人とに出会えたようです。
命を支えてくれる人と思って、信頼している人間から裏切られて
追い出されて、不信感をもった場合、人でもそれを回復するには
時間と、良い出会いがないと難しいのですから
のらにゃんや、わんこの場合はとても難しいでしょうね。

体調や目の状態が悪かったり、頭痛が継続しているので
本を開こうという気持ちが起きなかったのですが
ひと月早いけれど、自分の誕生プレゼントに、映画のDVDを買ったので
その勢いで、ちょっとあれこれ本を買い込んできました。
映画のDVDなどは買わないのですが、どうしても手元におきたいな
たまに、一人でゆっくりみたいなと思って買ってきました。
「いぬのえいが」
オムニバスでクレイアニメもいれると、20編ほどが
入っています。
気に入っているのは、ねえ、マリモという作品と、ポチは待っていたという作品です。
ネタバレになるので、どうぞ、機会があったらゆっくりご覧くださいね。
もう、その瞬間が過去になる時間の経過と、人とわんこが生きる時間の違いや
別れのとても切ない気持ちが好きな映画です。
命だけではなく、たとえば身体の機能や自分が失ってしまったものを
大切だと思うからこそ、失ったときにどれほどそれが大切かと
とても哀しくて哀しくてたまらないのだと思います。
けれど、これだけ哀切だからこそ、残っているものを大切にしたいという
気持ちになるのだとも思います。
私の好きな岩波少年文庫の「トムは真夜中の庭で」という
フィリパ・ピアスというイギリスの作家の作品にも感じる
時間というものや、生きているものが迎える死や別れに
通じるものがあります。
トムは真夜中の庭でや、ル・グウィンのゲド戦記については、また
考えるぶろぐでゆっくり書いていきます。
(汗)ううん、3ヶ月も更新していないわ。

ご飯にいれる五穀をいれて焼いた食パンです。
いぬのえいがに感じる切なさは
生きていることは死んでいくことなんだと
小さかった私が感じ、自分なりに考えることになった
毎日の生活のあれこれが
まったく日常であることの延長なんだということを
小さいなりに理解した時の気持ちに似ています。
moyaさんのブログの、バイクをのらねこの安心していられる
場所として提供している方のお話のなかで
「朝顔につるべとられてもらい水」 加賀千代女の歌がとりあげられていますが
わずかな期間しか咲かない朝顔だからこそではなく
同じように必ず命の終わりのあるものとして
その命に共感する、というか共鳴するという感覚を
私は千代女からも、バイクの主からも感じます。
のらねこや、虫や鳥もふくめて、自分の生活に心地よいものでないというだけで
排斥し、虐待するという人間ばかりの社会が
人間にとって、住みやすいはずなどないのですものね。
小さなにゃんこは、さ迷っているうちに、ここで安心して眠れる場所と
信頼できる人とに出会えたようです。
命を支えてくれる人と思って、信頼している人間から裏切られて
追い出されて、不信感をもった場合、人でもそれを回復するには
時間と、良い出会いがないと難しいのですから
のらにゃんや、わんこの場合はとても難しいでしょうね。

体調や目の状態が悪かったり、頭痛が継続しているので
本を開こうという気持ちが起きなかったのですが
ひと月早いけれど、自分の誕生プレゼントに、映画のDVDを買ったので
その勢いで、ちょっとあれこれ本を買い込んできました。
映画のDVDなどは買わないのですが、どうしても手元におきたいな
たまに、一人でゆっくりみたいなと思って買ってきました。
「いぬのえいが」
オムニバスでクレイアニメもいれると、20編ほどが
入っています。
気に入っているのは、ねえ、マリモという作品と、ポチは待っていたという作品です。
ネタバレになるので、どうぞ、機会があったらゆっくりご覧くださいね。
もう、その瞬間が過去になる時間の経過と、人とわんこが生きる時間の違いや
別れのとても切ない気持ちが好きな映画です。
命だけではなく、たとえば身体の機能や自分が失ってしまったものを
大切だと思うからこそ、失ったときにどれほどそれが大切かと
とても哀しくて哀しくてたまらないのだと思います。
けれど、これだけ哀切だからこそ、残っているものを大切にしたいという
気持ちになるのだとも思います。
私の好きな岩波少年文庫の「トムは真夜中の庭で」という
フィリパ・ピアスというイギリスの作家の作品にも感じる
時間というものや、生きているものが迎える死や別れに
通じるものがあります。
トムは真夜中の庭でや、ル・グウィンのゲド戦記については、また
考えるぶろぐでゆっくり書いていきます。
(汗)ううん、3ヶ月も更新していないわ。

ご飯にいれる五穀をいれて焼いた食パンです。
いぬのえいがに感じる切なさは
生きていることは死んでいくことなんだと
小さかった私が感じ、自分なりに考えることになった
毎日の生活のあれこれが
まったく日常であることの延長なんだということを
小さいなりに理解した時の気持ちに似ています。
moyaさんのブログの、バイクをのらねこの安心していられる
場所として提供している方のお話のなかで
「朝顔につるべとられてもらい水」 加賀千代女の歌がとりあげられていますが
わずかな期間しか咲かない朝顔だからこそではなく
同じように必ず命の終わりのあるものとして
その命に共感する、というか共鳴するという感覚を
私は千代女からも、バイクの主からも感じます。
のらねこや、虫や鳥もふくめて、自分の生活に心地よいものでないというだけで
排斥し、虐待するという人間ばかりの社会が
人間にとって、住みやすいはずなどないのですものね。
コメント
ありがとう、ぽんさん
おおきに
いぬのえいがのリンク、gooの映画サイトにしておきました。
moyaさん、つづきとはなれのお話、おおきにです。
昨夜遅くですが、数ヶ月姿をみかけなくなった
とらにゃんののらに、久しぶりに夫婦で出会えました。
走り寄ってくれたがとてもうれしかったです。
分子レベルでも生命が受け継がれているという感覚
きっと誰もがもっているのでしょうけれど
それをしっかり感じることができるか、どうかでしょうね。
moyaさん、つづきとはなれのお話、おおきにです。
昨夜遅くですが、数ヶ月姿をみかけなくなった
とらにゃんののらに、久しぶりに夫婦で出会えました。
走り寄ってくれたがとてもうれしかったです。
分子レベルでも生命が受け継がれているという感覚
きっと誰もがもっているのでしょうけれど
それをしっかり感じることができるか、どうかでしょうね。
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バイクの住人
この子は私の近辺の、ニューフェイスです。
生後5ヶ月くらいでしょうか。
誰かに捨てられて以後、健気に生きています。
ここは、軒下に置かれたバイクのバスケット。
バイクのあるじが、通りすがりの飢えた猫たちのために用意した餌場に流れてきて、落ち着きました。
...


泣けてしまうのだろうな・・と。
自分のブログには書けなかったのですが。
あの仔猫はちょうどバイクの主の飼い猫「つづき」の、病が重くなり、毎日点滴に通うようになった頃に登場しました。
身体の模様が「つづき」にそっくりなので、名前を「つづお」にしようと。
「つづき」は2ヶ月近い闘病の末、亡くなりました。
捨てられていたのを頼まれて保護してきたのも私、飼い主とともに火葬にも立ち会い、それなりに「つづき」の一生に関われたことに、ありがとうという気持ちです。
それで、いのちは受け継がれるという思いが、今強いです。
事情があって、「つづお」は手厚く外で飼われることになりました。
でも、そんなニャンコたちと、喜び、悲しみをともにできるこ暮らしを、私たちはとても大切に思っています。
ぽんさん、「つづき」のことは↓のURLをクリックしてみてくださいね。