強制される尊厳死
2008-05-06

ムラサキサギゴケ
現在、延命治療を希望しない終末期患者の治療を中止する「尊厳死」を認めるように
超党派の有志国会議員「尊厳死法制化を考える議員連盟」(会長=中山太郎元外相)
が動いています。
患者自身の自己決定権の尊重と、治療を中止する医師の免責を担保する法制化という
ことですが、ほんとうに言葉面だけを信じてよいのでしょうか。
いかにも、個人の尊厳、人としての誇りということをうたっていますが
こういった言葉に踊らされることは、大変危険だと思います。
治療を選択しないことが必要なのではなく
激痛や苦しい状態を和らげる徹底した治療などを受けて、その人らしい
そしてその人が望む死を迎えるまでの時間を過ごすことが
本来の終末期に望むことではないでしょうか。
そして、疼痛などの対応も可能になっていく医療の進歩するなかで
まず、先に弱い立場の人から、家族に迷惑をかけないために、お国のためにと
死の選択をせざるを得ない状態にしようとしています。
治療を受ける場さえ取り上げて、いかにも自分の意思で署名しているのだからということを
黄門の印籠がわりに、さっさと治療を切り上げ在宅で死ぬのを待てばいいということを
狙っていると思います。
長寿阻止医療制度でも生前意思表示に対して
相談料として保険点数報酬が決まっていますから
医師からこんな状態になったときのためにと、書類を差し出されたとき
高齢者や重度障碍の方たちは
自分の死期までわずかなのだと、突きつけられることになります。
しかも、そのときは身体の状態が悪くないとなれば
ぽっくり楽に逝ったほうが良いという考えから、無駄な治療はいりませんと
簡単に署名してしまうでしょう。
死ぬ権利と声高に言っていますが、それは裏を返せば
署名したのだから、治療を受ける権利など無いのだ
こういった状態になったら、迷惑をかけずにさっさと死んでしまうことが
みんなのためになるのだから、それこそ国民の義務だと言っているに等しいのです。
それも、所得が低かったり、ひとり親家庭であったり、難病であったり
障碍者である人たちを標的にしている、弱者を社会から公的に排除、始末しようという
ものだと思います。
みんなの負担のためだから、税金をこんな連中のために使うのを納税者が許さないから
お国のためなのだから、さっさと始末をつけなさいという
死ぬことを強要する制度になると思います。
ほんとうに納税者が許さないようにしたいのは、税金の無駄遣い使い放題でしょう。
尊厳死はどんなに必要な治療をしても、回復の見込みのない末期の患者が
生命を維持する装置や処置を受けず、自然に寿命を迎えて死ぬことを指しますが
今の75歳以上の高齢者や、65歳以上の障碍者の方たちに突きつけられているのは
状態が改善しない医療行為は、中止してしまってその後は介護保険で
在宅で家族にみとらせるということです。
それは、尊厳(とうとくおごそかで、おかしがたいこと)などという言葉で
まやかしをしようとしている政府の、医療や福祉の国の負担分を減らすという
目的を達成するためだけの、重宝する言葉だと考えています。
リハビリも、医療も、まともに受けることすらできない状態にして
チューブを全身につけられて、苦しんで最期まで治療を受けるような医療を受けたいですか
楽してあなたらしく家で死を迎えたいですかと、言葉巧みに誘導しながら
一枚の紙をつきつけ、私は不必要な処置を受けないという意思表示をさせて
医療を受ける権利さえ奪おうという算段だと思っています。
死に向かう病気を患った友人を何人か見送りましたが、どれほど生前、あるいは病気になる前に
負担になる医療を受けないと話していた人でも
一日のうちで、一時間のうちで何度もその考えが変化しましたし、新しい治療などの話がでると
やはり心が動かされていました。
悩み揺れ動きながら自分自身の死と向き合っていくことになると思いますが
それが、治療するという選択肢すら奪われて
さっさと誰の負担にもならないように、自分を始末しなさいという制度を
作ってしまってよいのでしょうか。
団塊の世代の皆さんが、これから人生の最後を迎えるという時を想定しているのですから
現在の高齢者や重度障碍者としてその中に組み込まれている人たちだけの話ではないはずです。
介護保険でもそうですが、保険料を40歳以上が支払っていますが
給付を受ける年齢になっても、実際には1割負担しなければならないということで
保険料だけを払いつづけながら、制度を利用することが金銭的に無理だという
方たちが存在します。
長寿阻止医療制度では、支払いたくても支払えないほどの額しか生活費がないとしても
半年滞納で、窓口で全額自己負担して後から領収書などで負担分以外を返還
一年滞納で、全額自己負担となります。
先は見えていませんか?
病院のベッドは減らされて、医療費も支払えず重篤になるまで病院にかからず
状態が悪くなれば必要な医療もうけられず
介護保険も医療保険も滞納していれば、そのまま自宅かあるいは河川敷などで
死んでいくしかないということが、この数年で起こっていくのです。
給食費などを滞納して平気でいる常識のない一部の人間とは違います。
働いて子育てをして、高齢者になって、あるいは病気やけがなどで障碍を負って
ここまで国を支えてきた人たちを、国の負担を減らすだけの目的で
その命までコントロールしようというのが、小泉前首相がめざした医療改悪です。
国民にも痛みをといいながら、自分たちは税金を湯水のように無駄につかいまくり
民間保険などの企業のトップと癒着して、一滴の血、一滴の汗すら流さずに
国民だけに負担をかぶせて、その上その寿命まで縮めてしまおうということを
許すか、許さないかは、現在の対象になっている皆さんだけでなく
どんな人間でも歳をとっていくということを考えれば
国民全員が対象だと思うんですが、どうでしょうか。
医療や福祉制度の抜本的改革と言いながら、実際には国民の負担だけを増やして
場当たりの変化だけで、物事の根本から改めることという言葉の意味をまったく理解していない
ことに対して、責任を取らせていくことも必要でしょう。
難病などになったとき、けがや犯罪や災害で障碍を負ったとき
先天的な障碍をもって生まれた子供たちに
そして、年齢を重ねてきた人たちに
そうなってしまえば、医療や福祉を利用することもできず
死を選択するしかないような絶望的な社会で、国が活力などを持てるでしょうか。
医療費や福祉制度の利用による負担を家族にかけることを辛く思っている人たちに
公的な負担を受けることに引け目を感じている人たちに
国が圧力をかけて、さあ負担になりつづけるか、自分で自分を始末するか
選択しろという安楽死・尊厳死の法制化を、絶対許してはならないと考えています。

コメント
二つのことを思い出しています
自分の居場所
この間の緊急入院体験から〜。
こらえられない痛みが襲った時は逃げたいと思った。手の届かない場所をさすってくれるようなやさしい看護師がそばにいるときは嬉しい・・。腕が痛くて痛くて痛み止めが効かないとき、クッションを持ってきてくれ寝ている腕の姿勢を換え楽になった。24時間点滴を足にいれてもらったので体を動かすのが楽チン。看護師さんの思いやりや技術の違いで病院は地獄にも天国にもなる。そこに居場所ができる。しかし・・病院も色々ことで制約をうけています。やっぱり少し早い退院が望ましい。それには限界があるわ。数集めで集めた看護師もたくさんいます。夜勤の時に本心がでる。だれも家族の人が見ていないのだから・・。
こらえられない痛みが襲った時は逃げたいと思った。手の届かない場所をさすってくれるようなやさしい看護師がそばにいるときは嬉しい・・。腕が痛くて痛くて痛み止めが効かないとき、クッションを持ってきてくれ寝ている腕の姿勢を換え楽になった。24時間点滴を足にいれてもらったので体を動かすのが楽チン。看護師さんの思いやりや技術の違いで病院は地獄にも天国にもなる。そこに居場所ができる。しかし・・病院も色々ことで制約をうけています。やっぱり少し早い退院が望ましい。それには限界があるわ。数集めで集めた看護師もたくさんいます。夜勤の時に本心がでる。だれも家族の人が見ていないのだから・・。
私もそう考えています
偕子さん、ご友人の方のこと、きっとそうではないかと思います。
意思を伝えることができない状態だというだけで
ほんとうに、理解していると感じるときってあります。
そう考えれば、患者の横で医師が家族に治療をやめるなどの話をすることが、どれほど残酷であるか
そう思います。
医療費などの削減ありきで、弱者から治療の機会をうばうことを
平然と行おうと法制化する政治家や政府が
信頼に足るかどうか、はっきりしていると思います。
意思を伝えることができない状態だというだけで
ほんとうに、理解していると感じるときってあります。
そう考えれば、患者の横で医師が家族に治療をやめるなどの話をすることが、どれほど残酷であるか
そう思います。
医療費などの削減ありきで、弱者から治療の機会をうばうことを
平然と行おうと法制化する政治家や政府が
信頼に足るかどうか、はっきりしていると思います。
そうなのよね
もしできれば、高齢者の方たちにも
病院ではなくきままに過ごせて気軽に集えるところを
提供するようにしたらいいし
少しでも制度を守るためにできることをやりましょうよ、でも、無理してはだめですよって
それでいいのよね。
私も病院でいろんな医療関係者と出会ったし
実際に不信感しか抱けない人との関わったけれど
それ以上に、患者のことを気遣って、自分の仕事に
誇りをもって懸命に働く方たちと出会ったことで
治療をあきらめないということができたと思っています。
今のままでは、制度自体が存続しなくなるし
このまま改悪を続けさせるような愚を
私たちがやってはいけないと思うんです。
根本的なというのなら、それを国民に提示して
徹底的に話しあうことが必要でしょう。
数字だけで先に削減ありきで、その場をつくろって
弱者ばかりに負担をかけて
そのあげくに命にまで関わることを安易に決める
そんな議員も官僚も要らないと思う。
病院ではなくきままに過ごせて気軽に集えるところを
提供するようにしたらいいし
少しでも制度を守るためにできることをやりましょうよ、でも、無理してはだめですよって
それでいいのよね。
私も病院でいろんな医療関係者と出会ったし
実際に不信感しか抱けない人との関わったけれど
それ以上に、患者のことを気遣って、自分の仕事に
誇りをもって懸命に働く方たちと出会ったことで
治療をあきらめないということができたと思っています。
今のままでは、制度自体が存続しなくなるし
このまま改悪を続けさせるような愚を
私たちがやってはいけないと思うんです。
根本的なというのなら、それを国民に提示して
徹底的に話しあうことが必要でしょう。
数字だけで先に削減ありきで、その場をつくろって
弱者ばかりに負担をかけて
そのあげくに命にまで関わることを安易に決める
そんな議員も官僚も要らないと思う。
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絵更紗を教えておられた素敵な方でしたが
脳出血で倒れられて意識不明になられましたが
間もなく出血が止まり目も見えず会話もできませんでしたが、
栄養を直接胃へ入れることで約2年生きられました。
その間に絵更紗のお弟子さんたちの一人が「先生は、こちらの言うことが聞こえおられるような気がする」といわれ
皆で先生の絵更紗の本を出版することになりました。
本が出来上がった日、「先生の本が出来ましたよ」と病室に持っていき手に触らせてあげると
嬉しそうに何度も何度も本をなでておられたそうです。
簡単に脳死だから何も聞こえないと決めて、その人の枕元で葬儀の相談などしてはならないと思います。
2番目は尊厳死のことです。私自身は無駄な治療は止めてほしいと思う一人なのですが
それは本人が決めることで、法制化するものではないと思います。
ただ痛みだけは取ってほしいと願っています。
現代の医学では痛みをコントロールすることは出来るはずですから。
死は平安の内に迎えたいものだと思います。