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岩田先生の新型インフルエンザについてのブログ記事です。 専門家チームでのコメント

発熱外来患者さんへぜひ一度目を通してください

新型インフルエンザまとめQ&A ancomochiさんがまとめてくださいました

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ 福島県立大野病院事件を無駄にしないために

ロハスメディカル クリック募金 患者や家族と医療関係者の対立では問題は解決しないのではないでしょうか

県立柏原病院の小児科を守る会 患者も医療を守るために

介護保険と医療制度を考える部屋 医療も福祉も制度が破壊されようとしています

医療崩壊を少しでもくい止めたい一般患者の会 医療の現状を知り、私達にできるかぎりのことはやってみませんか

お一人でも多くの署名をお願いします

国境なき医師団 必須医薬品キャンペーン

ライ麦パン  切り込みをいれて軽い仕上げです
ライ麦パン 切り込みをいれました。
フランスパン用の粉ではないので、しっとりめに仕上がっています。

バクバクの会
人工呼吸器をつけた親の会 バクバクの会のウェブサイトです。
臓器移植法案についての声明と、支援を求めています。

頚髄損傷の人工呼吸器を使っている方たちもそうですが
ここで訴えられている不安について
医学的にどうであるのか、今使っている制度が子供たちの状態によっては
つかえなくなるのではないか
強制的に装置をはずさなければならなくなるのではないか
など、答えが聞こえてこないまま
どう考えても、何も考えていない議員によってA案が通過し
誰もがその定義に従うことになる内容が決められようとしています。

脳死ということで実際に医師のお話を伺う機会があったとき
脳がどういった状態であるかなどを耳にしているので
私自身がそうなった場合に、利用できるのであれば移植について
同意することを選んでいます。

しかし、自分の子供がそうなったとき、それを死としてうけいれ
その状態ですぐに、移植をということが可能かどうか
みんなそれぞれが自分のこととして考えることが
まず、必要でしょう?

こうして今使っている医療や福祉の制度もつかえなくなるのではないか
移植をさせたくはなくても、制度をなどを利用してきたのだから
同意して当たり前ではないかということにならないか
そして、ほんとうに胸に抱いている子が亡くなっているのかなど
不安と思いが伝わらないいらだちで、きっと眠ることもできないような
ご両親に、説明と対応が必要でしょう?

何度か書いていますが、私は移植を受けること、提供すること
どちらも拒否するなど、本人、家族の意志を必ず尊重するものであることを望んでいます。

けれど、実際に人工呼吸器をつけている子供たちの親御さんたちが
多くの社会的資源を利用して生きてきたのだから
提供するのは当たり前ではないかという
プレッシャーを感じずにはいられないのではないかと思います。

健康はお子さんの親御さんが、拒否したとしても風当たりはそうは
強くはないと思います。
しかし、福祉や医療制度を利用して、社会的な死として決められた
線を越えていると名指しされた場合
現在もで税金などを難病者や障碍者に使うことについて
財務省などにあおりたてられて、ひどい言葉を投げつける人たちがいるのですから
想像することができると思います。

私たち夫婦もそうですが、医療的に特定疾患という制度や
重度障碍に関わる制度があることで、生活が成り立っています。

地域のサポートや福祉・医療を利用できる制度など
それらを使っている立場で、いざ死の定義がはっきりしたからと
その時点で、制度を利用している人たちから
生きるために必要な制度を取り上げることは困難でしょう。

成立した日から以後は、機器をつけることなども許さないという
ことになるのでしょうか。

移植を待つご家族と、危機感を持つ人工呼吸器などをつけている子供たちの
ご家族との対立ということではないと思います。

なぜなら、現在の医療などの押さえ込みなどをみていても
この国は財界と一緒になって、社会保障を削ることしか考えていないからです。

民間の医療保険がわずらわしいほど宣伝しまくっているのは
新しい治療などを国が、保険診療に組み込むことをしなくなることを
知っているからではないでしょうか?

市場として巨額な利益が生まれるから宣伝しまくっているのです。
保険外の治療費を補うためには、自分で民間の保険に入らざるを得ないでしょう。
実際にそう宣伝していますよね。
まるでこれからの新しい治療は、民間保険でないとうけられないと。
その上、厚労大臣が先進医療として認めなければ、この民間保険でも
支払いはしてくれません。

国は効果が認められる、多くの人が待っている
症状の進行と新しい治療の開発が競争するような状態の人たちが
命を削りながら待ち望んでいる治療などを、保険にくみこまなければ
予算を削ることができますし、民間の保険に入る経済的に体力がない人たちは
治療をあきらめざるを得ないことになります。
そして、介護などは家で、家族がやって当たり前ということになります。

現在の介護保険などもそうですが、改悪のたびに足切りをするだけで
内容がお粗末になっていくばかりです。
介護がどれくらい必要かという判定自体が
ただ、ただ、介護度を低く抑えるために作られたソフトで
現場の誰もがこんなお粗末なものというものです。

現在の難病と言われる患者さんでも、身体状態が悪化しても
身体障碍と認定されなければ、医療制度などを利用できません。
しかも、多くの自治体は重度(多くは1,2級、自治体によっては3級も含みます)
でなければ医療費の軽減などもありません。
福祉制度も同じです。

医療からも、福祉からも見捨てられた先は
介護などで仕事もつけない家族と、一家心中などしか選択できなくなるでしょう。

現在の重度障碍などの医療費ですら、負担が増えていくのをみれば
どの制度でも足切りや、経済的な負担が増えることになって
いずれは、アメリカのように運ばれた先の病院で
どの会社のどんな医療保険にはいっているかを先に確認されて
その保険の種類によって治療内容もきめられていて
保険に入っていないとか、支払う保険料が少ないものだと
まず、治療を受けることすらできないということになっていきます。

そうなれば、移植を待つ状態の患者さんの病状などを考えれば
医療に高額な支払いが必要になりますよね。
移植を待つまでの間にかかる医療費、移植にかかる医療費
その後の医療費と、負担がどれほどになるでしょうか。

そして、それを多くの寄付などに頼ることが
誰にもできることではなくなるでしょう?
これは、誰もが同じ立場なのだと思うんです。

まず、障碍を負ったとき、難病と診断されたとき
生きること自体を選択するかどうかを迫られるような状態になりはしないか
そういうことも、もっと突っ込んで話すことが必要でしょう?

私は性格が悪いのでその先も考えています。

生まれたときから遺伝子などを調べることで
この先数十年の間に、この病気にかからないかもしれないけれど
かかるかもしれないという危険性が
10%はあるので、あなたのお子さんは
医療保険をもっと多く支払わなければなりませんとか。

実際に治療を受けるために、支払ってもらおうと保険会社に問い合わせると
その治療はあなたの入っている保険料のタイプでは
一切受けることができません。
今からグレードアップしたタイプに入いるか、あきらめてくださいという答えとか。

約款(やっかん)にはこの病気について治療するとは一切書いていませんし
病気が同じだとしても、契約時に書いてある病気一覧に書いてある病名とは
医師の診断書の書き方が一文字違うので、支払いは一切いたしませんとか。

この病気になったのだから、一般的なこの病気の経過からみると
お身体の状態はこうなっていくと思われますので
今までかけた医療保険を本日で解除させていただきますと
突然一枚の紙きれで、なけなしのお金をかけてきた医療保険を解約されるとか。

消費税などが上がることで、食べ物から生活全般に負担が増えます。
重度障碍、病気の進行が進むほど、福祉などのサービスを受けるのに
経済的な負担がふえつづけます。
国民の生活を守るということをうたっている憲法を変えようとする意図は
国民の生活を守るという国の責任を、投げ捨てようとしているからです。

自分の議席のことにしか目がいかない
どんな汚い手をつかっても良いと思うような議員を選んだのは
私たちですし、数珠つなぎで、それぞれがつながっていく先に
希望などが見えない今こそ
命のことや、社会保障(国民の生存権の確保を目的とする国家的保障。
日本では社会保険・生活保護・社会福祉事業・公衆衛生を主な内容として
失業・労働災害・病気・死亡などの事態に備える。広辞苑)をどうするのか
私たちに突きつけられていると思います。

話があっちこっちいきますが、毛糸の先をひっぱったら
ほろほろ糸がほぐれ、セーターが毛糸の山になるような
不安を持っています。
今朝、セミの鳴き声がしました。
昨日、連れ合いに、今セミが鳴いた?と聴いたら
え?テレビで流れたんじゃないのって軽くあしらわれたので
今日はとっても気分が良いです。(^.^)

兵庫県立 人と自然の博物館のなかに
みんなで学ぼうというページがあって
昆虫 カエルの鳴き声のなかに
セミの鳴き声があります。

今日は雨があがって一気にはれたからよかったけれど
午後から大雨らしいので、なんとかやり過ごしてくれるといいな。
羽化するとき、わずかでも雨にあたると死んでしまう個体が多いので
ちょっと心配しています。

水田のすっみこに植えられているクワイ

のびのび育ち始めた稲が育つ水田の隅っこで
クワイがそだてられています。
クワイ、大好きだから、いつも気になって通るたびにのぞいています。

ゆりねとか、山菜とか、苦みやえぐみがあって
うまみがあるってのが、好きなのは
灰汁で固めたこんにゃくばばあに近づきつつあるからじゃなくて
子供のころから好きなんですけどねえ。

こちらでは高価だからなあ。
自分で育てられたら良いけれど、これ以上育てると
何かの時に、周囲に迷惑かけるのであきらめましょう。(T_T)
八重のクチナシの花 香りでめまいがしそうな垣根です
クチナシの垣根は、息苦しくなるほど香りが強いです。
一重のクチナシを育てていたので、そちらの方が好きかな。
クチナシの実もなるし。d(^-^)  と、やっぱり食用が好きです。笑)))

先日、たまたま両方の母親と数日違いで、それぞれ話をしているときに
葬式の話になりました。

亡くなった後にこうしてね、あれはここ、これはあそこと
二人それぞれが、あれこれ置いてある場所を教えてくれたりしたんですが
私のあやうい記憶力ではすぐにすっかり忘れてしまうし
連れ合いは他人まかせで聞く耳すらもってないので
さて、どうなるでしょう。

まあ、年齢からいっても二人とも旅立ちについて考えているってことなんですが
こうして自分の用意ができるって、いいなあと思ったりしました。

実家の母は、父と一緒に10年ほど前に戒名をもらっていて
(実際は購入してということなんですが)
墓は弟が亡くなって建てたものに父も入っているし
写真も毎年どこかへ出かけた時に私が撮影したもので
お気に入りのものを入れ替えていてますし
なんとなく、準備万端という感じ
になっています。(^^ゞ

ついでというか、坊さんも親しい方がおられるので
時間さえあえば^_^; 彼にという指名です。

母といろんな方の葬儀の話をしているときに
必ず守ってねと、式という形ではまったくやらないことを約束しました。
私の負担なども考えているんだと思うんですが
どのお式も、故人にとっても、家族にとっても
納得がいくものでは無かったのではないかと考えたようです。

私は血のつながった家族としては、母だけになっていますし
これまでの長い辛い介護などの時間を考えると
今の、気楽に自分の健康を考えたり、好きなことをする時間を
少しでも長く過ごしてもらえたらと思っています。

あやうい感じの娘夫婦のことも
自分がひとりでなんとかしなければという張り合いにも
なっているような感じと、我田引水ですが都合良く考えています。

確実に時間が過ぎていきます。
もっとも、私や連れ合い、そして誰もが明日はというより
わずかな時間の後にどうなるかなんてわからないのですから
何しろ、準備できるってことは、良きかなってことだと思います。

本当は、誰もが考えるべきことだと思うし
死をどう迎えるか考える力を持つことが必要になると思います。

どう生きたいかってことは、どう死にたいかってことだと思うんです。

父方の実家に帰省したときに、祖父が葬儀からもどって
玄関先の廊下で式服のまま横になって
年齢を重ねて何が辛いって、自分より歳が若い人の葬式にでることだと
独り言を言って疲れ切ったように寝てしまいまいた。

親が子の死を看取ることもあるでしょうし
夫婦が相方を失うこともあるでしょう。
大切な友人や、古い知人ということもある。
ペットロスなどもありますよね。

人が命を失うことが当たり前であっても、失ったことの大きさや
うけるダメージは大きなものになります。
失って初めてそれがどれほど大切かを身を切るように知ることになりますし
悲しみや惜しむ心に押しつぶされそうになるのは
人の死や、病気や障碍を負ったときの状態なども同じかもしれません。

それでも、それぞれが向き合い続けないといけないことだし
生きているということは、じたばた苦しみも悲しみも何もかも含めているし
誰もが、何かマニュアルがあって、それにそって対応できるというものでもないと思います。

長い長い時間経過などが苦しみやつらさを軽くしてくれること以外に
死について自分が考え、自分なりに理解していくことが
ダメージに押しつぶされないためにも必要ではないかなと思うんです。

事故などで子供さんを失った方のその後を取り上げた番組を見ていて
かたくななまでに、こだわっておられる姿をみると
死ということが、病気にしろ事故にしろ犯罪ですら誰もに起こりうることや
それが自分や家族に起こることの理不尽さに
怒りや悲しみを抱えたとしても
受け入れられる、受け入れざる得ないことだと思うんですが
それができない難しさを感じました。

先に往かれたご家族にとって、良い結果だろうか
望んでおられるだろうかとも思いました。

厳しい見かたをすれば、治療にしても、死を悼むことにしても
自分たちがここまでやったのだという気持ちを
満足させるためだけが目的になってしまっている
そういうことがあるのではないかとも思うんです。

それぞれの生き方ではあるけれど
どんな形にしても命を失うことを、こんなに受け入れられないような
受け入れにくいような社会になったのはなぜなんでしょうか。

怒りや悲しみやという感情は当たり前ですし
できる限りのことをしようということは、大切な人を失った誰もが
そう思って当たり前だと思います。
けれど、それぞれが時間も、やり方もさまざさであっても
かけがえがないからこそ、自分がどう生きていくかということに
つながっていくためにも
あやふやになっている死ということについて、自分たちが
理解すること、受け入れるけじめが必要ではないかと思います。

そこに、今まで私たちが見なかったことにしてきたり
医療に関わる人たちに丸投げにして、理解しようとしなかった
死という具体的なことについて欠けているからではないかと感じます。

私は弟を自死で失ったときに、認知症が始まりはじめた父などの代わりに
とても落ち着いて対処していたと周囲から言われました。
普段からしっかりしているから、そう何度も親類などから顔を合わせるたびに言われました。

けれど、私自身はこういった形をとって命を絶った彼への怒りや
自分がなぜなにもできなかったかという悔やむ気持ちや
彼の問題に関係していた周囲の人間に対する不信感や怒りや
いろんな感情でたたきのめされていました。

ただ、泣くこともできないような状態の母などを前に
そういった気持ちを伝える機会を失ってしまいました。
それは連れ合いに対しても周囲の誰に対してもそうでした。

もし、私が普通のというか、あまり死などということを考えないような
女性だったら、こうして感情を押し殺した状態って
きっと、その後とても辛い気持ちを引きずったままで過ごすことに
なるだろうなと思いましたし、病的な状態になったとしてもおかしくないと思いした。
それは、長く自分自身を苦しめ続けるだろうと想像できます。

その時のどこにもぶつけようのな怒りという感情は
もし彼が病院でなんらかの治療を受けている時なら
医療関係者に向けられたかもしれません。

最近の医療訴訟などのニュースを見るときに
大切な人の死に対する、怒りの矛先が、治療した医療関係者が悪いという
方向へ向けられていると感じるのです。

あるいは、再生医療なども含めて、治療法や薬が開発されるなかで
家族の命を守ろうという気持ちが走って
どんな状態であるかなどを判断したり、考える力を失わせているのかなと思います。

もし、ほんとうになぜということを考えるなら
訴訟でということは、答えを得ることができる場として裁判所は
解決する場所では絶対ありえないと経験から考えています。

裁判については、別に取り上げていきますが
私にとって医療が関係する訴訟というものがどういうものか
結果を考えると、それが家族が一番望んでおられるだろう
原因をしること、その後同じようなことを起こさないためにという思いを
けしていかすことができないと考えますし
実際に現在の医療現場の足もとが崩れていく原因にもなっていると思います。

個人の医師に対する訴訟などではなく
その後のためにも、問題点などを検証することや、その関係している組織の問題
働く環境の問題など具体的に
それぞれの立場で話し合い、形にしていく場を作ることなどが何より必要だと思います。

それを省庁などが介入できないようなものにすべきだし
犯罪行為など以外で警察などの介入があってはならないと思います。
そういった場を維持するために、誰もが努力をする必要があると考えています。

私は小さな頃、仲の良かった友達数人の死を経験しました。
病気であったり、事故であったり原因は違いましたが
小さな子供なりに、人が迎える死は必ずしも年齢ではないし
悪いことをやったから、良い人だからといったことも関係ないし
誰もにやってくることをなんとなく理解しました。

自分自身や、家族が病院で過ごすことが多かったこともあって
誰でもどんな人でも病気になること、けがをすることがあって
しかも、治療すれば助かるなんて簡単なことではないと思いました。

とても精密でこまかく信じられないほどすばらしい機能を持っている身体は
とてももろいものだということ、けれど、信じられない力ももっていて
まだまだ、人がそのすべてを解き明かしているなんてことも無いんだって
考えるようになりました。

臓器移植などの問題も、まず死ということに対して
私たちひとり、ひとりが問われいるのだと思うんですが、どうでしょうか?

死を受け入れるために、医療の限界や、身体の状態などを
患者や家族や残される人に説く人が必要だと思います。
そして、その基本に死の定義を
誰もが理解することが必要だと思います。

雨にぬれているホタルブクロの花

雨の中で咲いているホタルブクロの花です。
学名のCampanula(カンパニュラ キキョウ科ホタルブクロ属)は
ラテン語の小さな鐘って意味だそうです。

平原綾香のノクターン/カンパニュラの恋
たまにゆっくりしているとき、ひとりでヘッドホンで聴いています。

カンパニュラ     小さな鐘かあ。
遠くで大切な人との別れを悼んで、小さくなっている鐘の音かな。
それより、心に寄り添って、ただただ側で、ホタルブクロの花を揺らす
吹き抜けていく風という感じかな。
やまももの木で隠れるように、親をまっている子すずめ
親が戻ってくるまで一生懸命隠れている子すずめです。
巣立ちしたヒナたちがあっちこっちで見かけられますが
少し雨がつづきそうで、小さな子たちがやり過ごせるか
ちょっと心配しています。

郵便の障碍者割引悪用の不正認可が、結局は障碍者自立阻止法の
成立のための野党対策だったということが
何より、怒りを感じますし、そこまでしてわずかな福祉の金額を
削ることに眼の色かえる財務省や厚労省っていったいどんな省庁なんだろうかと思います。

自分たちが天下りして、企業や自分自身のポケットに入る税金の無駄使い分と
リハビリや障碍者の生きるために使うサービスの金額が
いったいどれくらい違うのかは、彼らが一番理解しているわけですものね。

新型インフルエンザについても
アジアでひろがっていけば、現在鳥インフルエンザが確認されている地域で
混合していくことだって視野にはいるわけですが
それでも、2009年 5月11日付けのニュースで財務省の次官が
予算について新しい手を打たなくても対応できると会見しています。

^_^; 引用したのを再度貼り付けておきますね。
自分は口にしていない、こんなニュアンスで話していないなんて
絶対、言わせないことが必要でしょう。

だいたい財務省がなぜ、感染症対策などについて全面にでてきて
予算をつけなくて良いなんて判断するんだろうか。
厚労省の医系技官とかがこういった判断で良いとかっていうのかなあ。

いつも思うんですが、現場の最前線で過労死覚悟でがんばっておられる医師たちでさえ
きっと最新の情報を得て、それを判断して活かしていくって
時間のことや体力のことや、あれこれ全部ひっくるめても
とても難しい状態だと思うんです。

しかも、自分の専門外のこととなると、やはり専門医のアドバイスや
考えなども参考にされたり、実際にその診療科などへ送ったりと
いうことになると思うんです。

それを2年くらいで部署をどんどん移動していく人たちが
医大を卒業しているからって、医療全般を理解しているなんてことは
どう考えたって無理がありますよね。

先に財務省の医療などに使う金はいっさいねえんだよ!!っていう発想があって
それを厚労省が具体的に形にして行っているということでしょうね。

以下引用

S次官は、新型インフルエンザ対策について
1)抗ウイルス薬「タミフル」「リレンザ」は十分な備蓄を確保  (ぽん注:ほんまか!!)
2)十分な医療体制も整備 (医療現場を崩壊させておいて、いったいどこが十分なんだ)
3)仮にワクチンを製造する必要が出てきたとしても、2009年度当初予算と
  補正予算で対応可能 (責任、とる気あるんだよね)
──などとして「現在のところ、特に予算面で新しい措置を講じなくても対応が可能だ」
との認識を示した。



結局何かあれば、想定外の被害、予想を超えるものだったで済ませるつもりでしょう。
官僚や政府関係者は国の大事に関わるので
優先的に治療薬などがつかえるし、ワクチンができたら先につかえるし
もちろん一緒にいる家族だって、感染対策のために対応してもらえるって
考えているから、国民が減ろうがどうなろうが、予算なんかつけないで平気だろうなあ。

それに、今のところ新型では病気を持っていたり、弱っている方が
先に命を失っているから、財務省にしたら自分たちの手を汚さずに
予算削減の標的にしている連中が自滅していくのは
バンバンザイかもしれないなあ。
なんたって、はやり病で命を落とすんだから、裁判起こされないって思うんだろうなあ。

閑話休題

話が飛んじゃいましたが、前にも書いたのですが舛添厚労大臣が
今回の厚労省の上司から言われて不正に関わった局長が
女性の出世頭だったことを、みんなの希望の星だったのにと
とても残念だと語っていました。

今回、彼女が責任を問われたことなども、女性の旗頭だったからということも
あるかのしれないし、スケープゴート(犠牲に祭り上げられた山羊さん。
民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代り。責任を転嫁する政治的な技)
なのかもしれません。

実際に障碍者自立阻止法を成立させるために走り回った人間
関わった省庁の関係者など、すべてが関わっているといって
おかしくないのでないかなあと思うんです。

けれどその前に、障碍者や家族、支援者誰もが大反対した
障碍者自立阻止法(自立支援法という皮肉な名前)をなにしろ成立させるために
不正でもなんでもしたということに、厚労大臣としてコメントがあって
当たり前ではないかと思います。

今回、成立させた当時の厚労大臣(平成17年〜)だった
尾辻議員が、毎年社会福祉費を削減するのは無理だと
先頭にたって主張していました。
尾辻議員が障碍者のことを視野にいれてこういった行動をとっているのかどうか
判断しかねます。
今、こういった空気(社会保障を削ることへの不安や反発が起こっている)だからかな。

障害者自立支援法は、重い障碍であればあるだけサービスに金を払えというものですし
就労が難しい障碍を持つ方たちにも、負担を強いるものです。
しかも、自分の収入でということではなく
家族の収入によって支払う上限がきまりますから
生活の負担をかけている家族に、金銭的な負担までかけるこになります。

この法律の説明で、厚労省が言い続けたのは
地域格差をなくすことを目的としている
地域で生活することが可能になる
就労を支援する
福祉サービスの一元化(身体、知的、精神障碍など関係なく共通に利用できる)
するなどでした。

今、それらだどれほど嘘だったかは、地域でサービスの内容も
利用時間も、負担の軽減も、何もかも違いが大きくなってしまったこと
地域でくらそうにも、サービスすらまともに受けられないなど
誰の目にもはっきりしています。

しかも、共通のというのは、障碍の状態を判定するのに
欠陥だらけといわれ続けている介護保険認定に付け足しただけの
審査を導入して、それぞれの障碍の認定自体を難しくしてしまいました。

厚労省が何がなんでも法律を成立させようとした理由はただひとつ
介護保険に障碍者を組み込むということだと考えています。

介護保険は保険料を納めるのが若い人に支払わせるには先のことで無理があるので
40代からとなっていますが
障碍者が組み込まれれば、生まれつきの障碍者も含めて
年齢をすべてフォローできるわけです。
極論すれば生まれたときから、保険料を徴収(強制的に取り立てる)できます。

そこで、まずは介護保険と同じように1割負担を導入してと
手順を踏むつもりが、思ったより反発がつよくて
じりじりしんどい思いをさせておいて、体力がなくなったところで
反発も弱まって、国民全体が認めているということで
介護保険と一本化するつもりだと思っています。

高齢者の方の生活と、障碍者の生活はまったく違いますし
介護保険の介護する家族がいてそれを助けるための制度ということでは
いろんな年齢の障碍者が、地域で生活するサービスをまともに受けることなど
できません。

成立に不正なことがおこなわれ、実際にその法律で
地域でくらすことはおろか、命を支えることすら難しくなっているのを考えれば
まず、この法律について詳しく調べ、現在の状態を知って
検討するという言葉が出てきて当たり前ではないかと思います。

介護保険が3年で見直しといいながら
現場にあわせた改正ではなくて、単に介護度を下げたり
なにしろサービスを利用できなくすることを繰り返し
わずかに負担を軽減するというやり方は、障碍者自立阻止法とまったく同じです。
ぽん家の宇治金時 インゲンの白あんと白玉がのっています

夫婦で暑さに弱く、体温調節がむずかしくなっているので
保冷材や、保冷ジェル、水で濡らして気化熱で冷やすバンダナなど
あれこれ使っています。

今は、おねむのお供は必ず枕の代わりに冷凍庫で冷やす
ジェルで熱を冷ます枕です。

この季節になると、定番の宇治金時の出番です。
インゲンを甘煮にして白あんにして冷凍しました。
私は苦いくらいの抹茶が好きなので、こんな色合い。(^^)v

この夏はちょっとしんどい夏になりそうなのですが
あれこれ試して少しでも体調良く過ごしたいと思います。

今日はひさしぶりの雨模様。
これから少し雨が続きそうです。

どうぞ、皆さんもお身体ご自愛くださいね。

インゲンの白あんに抹茶を入れて簡単和菓子に

鍋でインゲンの白あんをいれて少し水分を飛ばして
抹茶を加えて炊きあげて、レンジでチンしてつくる大福生地を混ぜ込んでみました。

餡だけだとちょっと寂しいし、カロリーを考えて
白玉粉をちょっとだけつかって、レンジで大福生地をつくりました。
包んでしまうと量も増えるので、四角くのばして短冊に切って
餡に混ぜ込んでみました。

舌触りもよいし、食べ応えもあってこれは良いかな。(^.^)
京都の五山の送り火の左大文字を京都市バスから撮影しています
8月16日の五山の送り火の左大文字です。
運転手さんの横から市バスの中から撮影しているのでこんな絵面です。
大文字見どころマップ

6月のはじめにニュースで「こんちきちん」の祇園さんの長刀鉾にのる
お稚児さんと禿(かむろ)が発表されるなど、いよいよ夏やなあという感じですねえ。
今年は体調悪いために、あまり歩き回りもせずに、季節に置いてけぼりですが
何となく、気分だけは楽しみたいなと思います。

(^^ゞ今年のお稚児さんは、和菓子屋さんの鍵善良房の社長の息子さんだそうです。
お父さんもお稚児さんに選ばれたということです。
そうです、くずきりやあの青竹の細いのにはいった水ようかん「甘露竹」のお店です。

そういえば、お稚児さんを出すって、ほんとうに大変だと伺ったのですが
京都の町衆の誇りを担うには、負担がおおきいのでしょうねえ。^_^;
お祭り自体はたくさんのボランティアが参加しています。

↓の記事で生活保護の母子加算が削られるって話を書いたのですが
実際に生活保護ってどんな制度かって、知っているって方も少ないかなと
ちょっと取り上げてみます。

今は、わかりやすいウェブサイトも多いので
できたら一度、制度がどういうものかのぞいてみてください。
きっと、勘違いや知っているようで実際には違うんだということが
たくさんあると思います。

生活保護110番

生活保護を受ける母子家庭のお母さんたちが働きたくても
病気をもっていたりして働けないなどの問題があります。
また、実際に働いているお母さんたちが直面しているでしょうけれど
子供たちが熱が出たと言っては預かってくれるところもない状態で休みを取ることは
リストラの対象になりますし、それ以前に、まともな就労ができる人が
いったいどれくらいいるでしょうか。

使い捨ての労働力としか考えられていないようなところで
切り捨てにびくびくしながら、朝から晩まで働いて身体をこわすようなことを
繰り返して生活保護に最後の生きるすべを求めているひとり親と子供たちから
都市近郊で23,000円ほどの母子加算をとりあげて
180,000人以上の子供たちが影響を受けています。

以前も書きましたが、健康保険料を払うことができずに
保険証書を持たない家族などが実際にいます。
小さな子供たちが病気をしないなんてことがあるでしょうか。
生活保護を受けられないようにしている窓口の対応がある限り
医療も教育も受けることが難しい子供たちがこんなにいます。

しかも、必死で受給手続きをした生活保護から子供たちの進学や
生活の糧にしている加算部分が削られるのですから
どうやって子供たちの教育で必要な学費や上の学校への進学や
部活などのお金をまかなうでしょうか。
生活保護だからそんなもの贅沢だと誰もが思うでしょうか?

声がだしにくい、声が小さい、踏みつけにしても大丈夫という
ところを削っていくというやり方です。

厚生労働省 生活保護制度の概要

生活保護は暮らしていけないという状態になっている国民に
どういった状態で生活しているかをみて、その状態によって
必要な保護を行うというもので、憲法の最低限度の生活保障をする義務が国にはある
ということを行うものです。

年金のない高齢者の方や、病気とかけが、災害などで働くことができない状態になった
けれど、医療を受けたくても収入もなく、状態を悪化させていくとわかっていても
受診することなどができない、子供たちに教育を受けさせることができないなどの
ほんとうに生活がたち行かなくなった方たち対する制度です。

悪質な受給者が取り上げられますが、それを申請時に相手を見て判断して認可した
また、生活の状態からおかしいと言われている人間をそのまま見なかったことにした
担当部署の問題だということを報道がもっと取り上げるべきだと思います。

「これからは厳正に対処します」まったく人ごとのように担当職員や上役がコメントして
これからは窓口にきても申請書すら出さないぞということの
口実にできるとほくそ笑んでいる行政の問題だと思っています。

国民を守るために国がしなければならない義務だということを
もう一度みんなが理解することが何より必要だと思います。

どんな理由にしろひとり親の責任だとか、医療も福祉も国の制度などを使って
税金を使うなんて無駄だという人たちが
自分たちがそういった立場になったとき
そのとき、私は税金を使う国のそんな制度は一切使いませんからと
宣誓書でもとって実際に利用できないようにすべきでないか
そう思うようなことが多いし、実際に他人ごとと思っている人が残念でなりません。

けがも病気も災害も犯罪も、そして年齢を重ねていくことなんて当たり前ですが
すべて誰にも起こりうることですよね。

難病になって初めて自分が医療でも福祉でも
制度を利用するハードルのどれも超えることができない
まったく何も自分を支えてくれるものがない
そこに残っているのは、仕事をリストラされて、働きたくても働けない
教育費も生活費も必要な家族がいる、介護する親がいる
そんな時、暮らしていけない中でなんとか生活を支えるのが生活保護です。

生活保護はあくまで、生活が立ちゆくようになるまでの間利用することが可能です。
生活できるように国がいろいろな対応をしていくことで
普通に生活できるようになったら、利用できません。

ただ、報道などにもありますが働き始めたとたんに受給をきられて
生活が成り立たなくなっていますが、それはおかしいのです。
生活保護の考え方は、一定の生活水準までの足りない部分を補うということですから
働いていても収入がわずかな場合、一定の額から収入を引いて
残りの足りない部分を支給してもらえます。

身体が悪くて働き始めても、実際にフルタイムということが無理だということもあります。
そういった場合の金額の低さなどを考えれば、仕事をしたから即支給をやめるなどは
できない訳です。

そして、自立を促すという国がやらなければならない
その家族や人たちが、普通に生活できる環境をつくること
就労を可能にすること、収入を得ることができるようになることを
最大限やらなければ、制度を利用できなくするなんてやってはならないと
いうことになります。

生活保護110番
保護の申請
厳しい内容も含まれますが、実際について詳細な内容がアップされています。
最後の砦になる自分たちの制度を守るためにも
まず制度を理解してということが必要だと思うんです。

最低生活費について

障碍者の車など必要不可欠なもの以外の財産に当たるものは処分しまくってと
自分でできるかぎりのことをやって、つかえる制度がないか探しまくって
それでも、どうにもならないって時の頼みの綱です。

障害者自立支援法でも利用に、個人の尊厳などないのかという内容がありますが
手続きの中で、生活に土足で踏み込まれるような質問などもあるでしょうし
担当者によっては、地団駄踏む(じだんだふむ:くやしくて怒りにまかせて地面を激しく
ふんで回る)ような状況もあると思います。

援助を受けるような親戚がいないかなど、実際に親戚に問い合わせられるなど
想像すると辛いですよねえ。

辛い思いをしても報道されるように、制度を利用させないことが御上の役割と
勘違いしている担当者に、追い返されたり
何度もいやな質問を繰り返されたり、人格を否定されるようなことを言われたりが
あるかもしれません。

しかし、ケースワーカーなどがついてくれることもありますし
生活をなんとか成り立たせるために、不法な対応にはしっかり足を踏ん張って
制度を理解して、ルールを守って利用するってことが
何より大切になると思いますし、生きるってことを守ることになると思います。

もしもの時に自分たちが利用できる制度にするために。

うめちゃんの実のようですが、花は桜みたいな白い花です。スモモに近い種類だと思うんですが。
バットマンニャンコ(バットマンのような模様の白黒にゃんこ)

小泉・竹中骨太医療福祉破壊コンビが経済財政諮問会議を利用して
今の社会福祉を切り捨て、会議のメンバーの経営者などが
現実に利益を手にするという形がえんえんと続いています。

小さな政府というのは、自分たちの責任を民間企業に丸投げして
国民の生活を切り捨てて行くということです。
こうすればこの国はバンバンザイと先に結論ありきで
いろんな専門家(実際は利権を握っている人間)が集まって
自分たちにとってよりよいもの、狙っているものにということになっています。

経済財政諮問会議は自分たちのオフィシャルなサイトで
「経済財政政策に関する重要事項について
有識者等の優れた識見や知識を活用しつつ
内閣総理大臣のリーダーシップを十全に発揮することを目的として
内閣府に設置された合議制機関。」
ということをうたっています。

現在の総理や閣僚以外のメンバーは
白川 方明 日本銀行総裁
岩田 一政 内閣府経済社会総合研究所長
張 富士夫 トヨタ自動車株式会社取締役会長
三村 明夫 新日本製鐵株式会社代表取締役会長
吉川  洋 東京大学大学院経済学研究科教授          こうなっています。

調査と審議するグループですからけして、決定することを目的にしたグループではありません。
しかし、政策を決めるというとても重要なものになっています。
国民全員に関わるって内容を論議していくところです。

今回のかんぽの宿の問題もそうですが、小泉内閣当時の経済財政会議の
主要メンバーの民間保険の会長が
医療現場のIT化にも
新しい治療を健康保険にくみこまないようにして民間の保険にはいらなえければ
治療をうけられないようにすることにも
そこから生まれる利益を受ける企業のトップとして名前が出てきます。

そこで、小泉竹中チームは、国の健全化のために
国民の痛みを伴うということになってきます。

実際に切り捨てられる現場を調べもせずに数字だけで
財務省が厚労省などに働きかけておこなっているのが
医療の破壊や障碍者の自立を阻止する障害者自立支援法だし
使いまくる連中がいるから介護保険などの利用をさせないように
介護度を下げるなどの姑息な手段がでてくるわけです。

その痛みは、自民と公明が今回はっきり態度で示したように
障碍者と同じように自立をうながすためにという名目で
母子家庭加算削るというように
声が小さなところ、予算を削って殴り倒しても
周囲の人間が平気だと思わせるようなところを狙い撃ちにしています。
これが福祉の党などと声高に言う党のやり方です。

いろいろな女性などのブログで、生活保護などひとり親家庭の援助が多すぎる
自分で働いて子供を育てて当たり前という、税金を無駄?に使うなという
ことで書き込みされているものが多くあって
こういった人たちの後押しで、医療も福祉も削りまくられて当たり前という状態になっています。

こんな税金も払わない、優遇されている(と彼らは思っているんでしょうねえ)連中に
汗水働いて稼いで納めた税金を使って、どうよ!!という
考えを後ろ盾にしています。
また、一部の不届きもの、ニュースで取り上げられる不正などを情報源になっています。

今回の母子家庭加算の削減の理由に自民、公明は
ほかの生活保護の方より子供たちのために給付される金額が上乗せされるのはおかしい
母子家庭の母親の就労支援をするんだから
(資格や技術をというのですが、就労先を手当するわけではありません。
まったく支援する気など無くても、そう言っておけば言い訳になります。)
削るのが先で、実態はこれから現状をしらべて
対応はその後で良いと公言しています。

正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる
2007年5月に書いた私の考えるぶろぐの記事です。

おかしいでしょう?
低いほうへあわせるって、これって国が責任を放棄したと考えていいと思うんです。
年金が生活保護より低いのだから低いほうへあわせる
何しろ政府が生活の保障に金を出すことさえしないようになれば良いという
やり方で、誰が安心して暮らせるでしょうか。

実際に民間保険の会長が言い続けているのは医療は巨大な市場だということです。

その人が小泉竹中骨太改革の経済財政諮問会議のトップとして
癒着(本来離れているべきものがくっつくこと)していると感じるような
不正があると思えるような、関係があってはならないということだと思うんです。

今回のぽっぽっぽー ^_^; の問題もそうですが、不正がないというのだったら
情報はもっと国民に明らかにすべきだし、自分たちの利益を公言するところに
売り渡されたりするのかをはっきりすべきだと思います。

今回、選挙に目がくらんでいる議員と、以前障害者自立支援法を強行に
成立させたときの厚生労働大臣が反対して
今回は骨太改革の社会保障費の抑制
(毎年、医療や介護などの福祉の伸びを2200億円ずつ削る)する
ということをおおっぴらにするのはやめようということになりましたが
(書面にしないってとこが、姑息でしょう?選挙後がどうなるかはっきりしています)
それでも絶対削るべきだと言い続けているのが
財務相の諮問機関である財政制度等審議会です。

諮問機関(しもんきかん)とは、大臣や総理などが指名した
学識経験者などが検討したり議論をして
意見を拝聴して実際に政治に活用するというものですが
指名するのに、自分たちに耳の痛いことを言う人間を集めるはずもなく
御用学者(学問的節操を守らず、権力に迎合・追随する学者)や
権力にすり寄る知識人という人たちを集めることで
自分たちの思う結論を出させるなんて、お茶の子さいさいだと思いませんか?

一番底辺にいるだろう人たち
最低限の生活すらできないような家族のこと
難病や障碍を追って暮らす人たちを
こういった委員として顔をそろえている人たちがいったいどれくらい
理解しているか、現状を知っているかを考えれば
会社の会長や、新聞社の特別顧問、電力会社の取締役顧問
どっかの教授などだけが顔をそろえていること自体がおかしいと思うんですが。

やまももの実 もうそろそろ季節がおわりそうです
今年は体調を崩したりで、あまり歩けていないので
身近にあるやまももの実が実っているのに、見て回ることができませんでした。
気がついたら実が落ちて、時期が過ぎていました。
残念。(T_T)
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